蓮の花を愛でながらも、蓮根を食べたいなあと思う私です。
子どものころから本当に大好きで、特に薄く切った蓮根を油でさっと炒めてしょう油と鷹の爪で味付けしたきんぴらが大好きです。
砂糖や酒などで甘みをつけない味付けで、ご飯をおかわりしていました。
あと、ちらし寿司に酢蓮にして混ぜ込んだものも好きで、蓮根自体には味があまりないのにあれだけ好きだったのは、シャキシャキした歯ごたえに理由がありそうです。
もうひとつ、「蓮根を食べると血がきれいになる」と母が口癖のように言っていたので、なんだか体に良い食べものと子ども心に認識したこともあるかもしれません。
その話をどこかに書いた記憶があるのですが、思い出せずにいました。
「蓮根を食べると血がきれいになる」という呪術的な話は全国的にあるのだろうかと思って検索していたら、doramaoさんの「マクロビと呪術」を見つけました。
ああ、懐かしいと思って読んでいたら、なんとそのコメント欄にその話を書いていたのでした。
呪術の深い話ではないのですが、レンコンについて。
小さい頃、母から「レンコンを食べると血がきれいになる」と言われました。理由は「レンコンの形が血管に似ているから」のようなことだったと思います。きっと母も、どこかでこんなことを耳にしたのでしょうね。
ああ、そういえば2010年ごろは助産師の中にホメオパシーやらマクロビやら整体やらが広がっていて、こんなことをまことしやかに言う助産院もあったのでした。
レンコンには止血作用があるといってレンコンジュースを飲ませていた助産院がありました。これはマクロビからきているのでしょうね。
本当にマクロビからかどうかは私にはわからないのですが。
<「体によいらしい」と「呪術」の境界線はどこか>
子どもの頃は母の話も半分、信じていたのかもしれません。
なんだか蓮根の穴が血管のようですし。
でも、血管を思い出しながら食べるというのもちょっとシュールですね。
成長するに従って、まあどこにでもある「○○は体によいらしい」の類いだと自分の中で整理していけたのだろうと思います。
でも、もしそのまま今でもその発想から抜け出せなかったら?
doramaoさんのエントリーに書かれている以下の部分が大事ではないかと思います。
たとえば、ちっちゃい子にとってお母さんの謂うことを信用して行動する事は大変合理的であると思います。勿論お母さんだって間違えますけれど、自分で考えて行動する場合よりも遥かに安全である事は間違いないでしょう。ちっちゃい子にとって、そうしたお母さんの誤りは誤りとして認識されない事が殆どだと思います。中にはお母さんの謂うことは全て正しいのだ、誤っている様に見えることは相手が間違っているからなんだ。そう思う子もいるかもしれません。
ほんとうに。
「お母さんも適当なこと言っちゃうからね、えへへ」と自分を笑い飛ばせるならよいのですが、「お母さんは正しく良いことをしている」と思いこみが強ければ強いほど、子どもはその呪縛を乗り越えることが大変になりそうです。
<子どもを呪術的な教育から守るのは社会の責任>
蓮根からそんなことを考えていたら、ちょうどうさぎ林檎さんの7月8日のtwilogにこんな情報が。
あー...なんか地雷だらけの悪寒。"この園では玄米ごはんと味噌汁が基本です。肉や魚や乳製品は出ません。"これこそ本物の食育!映画「いただきます」を鑑賞してきました/管理栄養士 園尾和紀の「カラダヨロコブブログ」
あーはいはい。"「いただきます」のプロデューサーは、「はなちゃんのみそ汁」の原作者、安武信吾。・・・「一物全体」とは、食材を丸ごと食べることですべての栄養素をとりいれることができるというマクロビオティックの考え方です。"
マクロビの子どもたちへの考え方については、「14才までの子どものマクロビ」と「子どもたちの『症状』とマクロビ」に書きました。
こういう独特の信念を幼児教育に取り入れ、それを賞賛する風潮はどうなのか。
手を変え品を変え、こうした考え方が社会に生き残るのはなぜなのでしょうか。
「食べるということ」まとめはこちら。
あわせて「代替療法とは何か」もどうぞ。