水のあれこれ  64 <水辺を守る>

波が寄せては返す海岸や、山から滔々と水が流れていく川を見ていると、子どもの頃の不思議な感覚に襲われます。
「なぜこの大量の水がそのまま地面にしみ込まずにいられるのだろう」と。
「そのまま海水がどんどんと岸べから地面に吸い込まれていけば、地面ごと水に流されて土地がなくなってしまいそうなのに。なぜそうならないのだろう」と。



でも、海水は砂浜をさっとなでるように移動して海へと戻っていきますし、大量の川の水も河床に吸い込まれてなくなってしまうことはなく、海へと移動していきます。
当たり前といえば当たり前なのですが、不思議です。


水辺と陸地の境界線とでもいうのでしょうか。


その境界線が、いとも簡単になくなってしまうのが水害です。
1980年代半ばの日本では、こちらの記事に書いたように、数百人といった死者が出るような水害は記憶にないほど水害が減った時代に入っていましたから、私が当時暮らした東南アジアの国で、雨季になると一度の洪水で数百人がなくなるというニュースが毎日のようにあることに驚きました。
その国のニュースでは、「いきなり濁流が押し寄せてきて村が流された」という被災者の方のインタビューをしばしば耳にし、それで「鉄砲水」という言葉を覚えたのでした。


その経験からか、帰国してからも水害のニュースを意識するようになると、日本でも頻繁にこうした鉄砲水と同じような水害があることを知りました。
その国と違うのは、広範囲の被害なのに日本では死者が圧倒的に少ないことでした。


日本の国土全体に災害対策が考えられ、災害が起こればまたその経験を次に活かす失敗学が徹底しているからなのだと、最近は理解しています。


<長大な水辺をどうするか>


ただ、当時、1980年代終わりごろから90年代にかけては、公共事業に対しての批判や、環境という言葉の広がりとともにダムや河口堰など人工的な建造物への批判が広がり始めた時代でした。


東南アジアを行き来しながら、川や海の水辺が「自然のまま」でうらやましいと思っていました。
片や、日本の海岸線をみれば、砂浜ぎりぎりまで高速道路などが作られていますし、川もコンクリートの堤防が延々と続いています。


必要があって作られているのだろうと思っても、無粋な建造物で水辺を固めていくのはセンスがなくてなんだかなあ、と批判的な気持ちがついてまわりました。
その気持ちが変化したのは東日本大震災の時で、海岸線に作られた道路が堤防の役目をしていたことを知った時でした。


住民の安全を守ること、環境を守ること、さらに快適性も追求していくと、狭い土地をどのように利用していくのかに答えを見つけることは容易なことではないですね。



東南アジアのその国の海岸線はたしかに「自然のまま」でした。
でも、川の上流で洗濯や調理に使った水をその下流の村でまた使うという、一本の川が上水道から下水道の機能を負っていましたし、海岸沿いの村では海に向けてそのまま排泄もしていました。


水を介した感染症を防ぎ、適切に下水を処理するためにはさまざまな施設が必要で、その施設を建設する事での環境への影響や景観の問題の中でどのように折り合いをつけていくか。


「自然のまま」がよいだけではないところまで生活が変化しているし、その対義語は「不自然」かといえば、そんなこともないのではないかと、最近は思えるようになってきました。


最近、時間があると都内の河川の堤防を歩いているのですが、上流から下流まで強固な堤防が途切れる事なく作られ、水量を調節するためのさまざまな施設が目に入ります。
川というのは、当たり前ですが1本の川に両岸があるわけですから、10kmの川であれば20kmの堤防が必要ということですね。
・・・いえ、そんな単純な話ではないのですが。


ただ、これだけ長大な洪水対策がどの河川にもくまなくなされ、そして管理されていることを実際に見て歩くと、ただただすごいと思うようになりました。




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