思い込みと妄想 38 <蓮の幻想>

6月下旬の蓮の花が咲き始めた頃から、今年の夏は不忍池の池に4回ほど通い、そろそろ花もおわりに近づいてきました。


6月はまだ、蓮の葉の丈も数十センチから1メートルぐらいだったものが、どんどんと花を開かせながら、行くたびに背丈が伸びて私の身長をこえるくらいになっています。
不忍池の真ん中にあるカワウの島も見えにくくなるほどです。
蓮はこんなに大きな植物だったのかと、驚きました。


6月の頃にはまだ頼りない葉が多かったものが、8月に入るとどんなに強い雨にも耐えられるかのように頑丈で大きなものになっています。


先日は、ちょうどポツポツと雨が降りだしたので、その葉のロータス効果をながめていました。


大きな葉に落ちた雨の雫が、その振動で葉を揺らし、揺れる度にそれぞれの雫がまとまっていきます。
あっという間に、円錐形の葉の中心部に500円玉ほどの雨水がまとまりました。
雨水をまとめるそのしくみは手品をみているかのように鮮やかですが、そのままでは漏斗のような葉の中心部に雨水がどんどんとたまってしまいます。
どうなるのだろうと見ていると、雨とともにわずかの空気の動きが葉を大きく揺らし、するっとその大きな水玉を池に落としたのでした。
葉の上には、何も残っていませんでした。


ああ、これがロータス効果と、しばらく見入っていました。


ロータス・・・なにか神秘を感じさせる?>


ロータス(蓮)」というのは、何か神秘さを感じさせるものなのかもしれません。
Wikipedia「象徴としてのハス」に書かれているように、「滑らかさや聖性の象徴として称えられることが多かった」とあるように。
そしてその「宗教とハス」にあるように、「女性」のイメージもあるのでしょうか。


ロータス」と聞いてまず思い浮かべるのが、「ロータスバース」です。
自然に臍帯が脱落するまで、生まれた赤ちゃんに臍帯と胎盤をつけたままにするというものです。


2年前にその記事を書いた時は、あまりの奇天烈さになぜ「蓮」の名前をつけたのかまでは深く考えなかったのですが、たしかに胎盤からへその緒は蓮の葉と茎に似ているかもしれません。
そして胎児は羊水の中で育ち、蓮の地下茎も水の中で生きているあたりで、胎盤をつけたままの新生児を蓮に見立てた呪術的なものだったのかもしれませんね。


ただ、その記事でも書いたようにさらに「子宮エコロジー」とかわけのわからない言葉へとつながっていくと、「神秘な女性性」に酔った人とは違う産み方をしたいという気持ちを駆り立てるのかもしれません。


ほんと、不忍池で蓮を眺めていると、ふと極楽にいるような気分になりますからね。




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