運動のあれこれ 3 <「挑ませる」ものには注意>

私が勤務先の産院で出会う女性は、ひと頃の「自然に生みたい」「母乳だけで育てたい」という熱が過ぎて、「無事に生まれればそれで十分です」「必要があれば医療処置を早めにしてください」「必要があればミルクも足します」という方がほとんどです。


思い返せばちょうど十年前に琴子ちゃんのお母さんのブログに出会い、産科医のいないところでの出産を選ぶ人に思いとどまって欲しいと、そのブログの中でいろいろと考えさせられたのでした。
当時は、助産師の中にも「正常なお産は助産師だけで」と、わざわざ医療機関内に産科医を排除した院内助産を作ろうという動きが広がり始めていました。
「女性には産む力がある」「赤ちゃんには生まれる力がある」というプロパガンダで。


そんな呪文をとなえても、現実には目の前で一気に急変するのがお産なのに。
それを身をもって体験してるはずの助産師の中に、そういう思想がひろがってしまうのは何故だろう。
そのあたりを考えるためにブログを始めました。


最近、ようやく行き過ぎた自然なお産や母乳育児への傾倒が落ち着いて来た印象を持っています。
いえ、もともとそういう人たち自体が、それほど多くはなかったのかもしれません。


琴子ちゃんのお母さんや、帝王切開直後の母子早期接触で息子さんが植物状態になってしまったこんさんのように、お話を伺うだけでも「危険」と感じる話がなかなか社会には広がらないことが不思議なのですが、でもやはり「子どもが無事に生まれれば」「無事に育てば」というところが本質的な願いだということなのだと思っています。


ああ、ようやく1970年代頃からの自然なお産運動も終焉したと思っていたら、なんだかまた「無介助分娩」の話題が。
しかも個人のブログの武勇伝ではなく、講談社のサイトでノンフィクション作家という人によって掲載されていることに、「こうして歴史は繰り返されるのか」とがっかりしました。



<「挑ませる」ことには要注意>


出産については「できるだけ自然に」「できるだけ促進剤は使いたくない」と言う方はまだまだいらっしゃるのですが、でもやはり目の前に元気に赤ちゃんが生まれるかどうかが最大の不安なので、状況を説明すれば医療処置を受け入れてくれるようです。


ところが「母乳育児」になると、「一滴もミルクは使いません」という強い気持ちを表明される方がたまにいます。
こちらが心配になるほど、お産の疲労と頻繁授乳での疲労で顔つきも厳しくなっています。
新生児の体重が10%近くまで減少したり、生理的黄疸が強くなって哺乳力が弱くなっているのに、こちらがやんわりと説明しても、頑なになる方が。
そして、最後には本人も精神的に病んでしまうという状況まで追い込まれることがあります。


産後の精神状態というのは、本人さえわからないような異様な状況になりやすいので、自分をどんどんと追い込んでいくかのようです。
そして、ミルクを足すことを勧めたスタッフが「悪者」にされることもあります。


何に挑んでいるのだろう、何が挑ませるような気持ちにさせるのだろう。


出産前後の女性を見ていて、未だによくわからない心理です。


でもひとつ言えるのは、挑んでいるのは「自分の何かに対して」であり、その先にある新生児への危険性は目に入っていないかのようです。


「自然なお産の運動」も、「医療介入は不要」「医療従事者の立ち会いさえも不要」という極論までいくぐらい、何かに挑ませるものでした。
その「自然なお産の運動」が少し落ち着いて来た頃に、「母乳育児に挑ませる運動」が一部の女性の心をつかみました。
たくさんの「出産の専門家」という人たちの発言や出版物によって。


人を駆り立て挑ませる。
運動はそういう危険な方向性を内包しているのではないかと思えるのです。


そして駆り立てた側は、決してその結果に責任はとらない。
鵺(ぬえ)のような全体主義が稚拙な運動によって作られ、広げられていく。
気をつけていないと、いつのまにか足元をとられていくような。




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