医療介入とは 99 <医療と植物園>

久しぶりの「医療介入とは」です。


最近、植物園や温室を巡る機会が増えたのですが、どちらといえば植物の多様生に改めて気づくことが増えて、世界はひろいなと感じることがきっかけでした。


植物園をまわると、どの植物園でもだいたい「薬草」の展示があります。
「ああ、これがジギタリスか」と、初めてその草を見ました。


そうだ、「病院+看護=近代医学」で紹介した「16世紀末のオランダで、大学に病院、植物園(薬局に相当)を付設」のように、植物園というのは薬になる植物と切ってもきれない関係があったのだろうと、また少し歴史がつながったのでした。


Wikipedia植物園の説明にも、「植物園(しょくぶつえん、botaniccal garden)は、単なる庭園ではなくその名botanic garden(ボタニック・ガーデン/植物学庭園)からも推測されるように、主として学術研究に供するために、植物学の視点で、特性ごとに収集された植物、花卉、樹木など標本類を生きたまま保存し、かつ研究の基準となる押し葉標本など標本類を蓄積保存する施設である」として、以下のように書かれています。


近代的な植物園は日本では市民の憩いの場、あるいは観光施設としての庭園としてのイメージが強いが、歴史的にみるとこのような学術的な色彩の強い場であり、さらには遺伝的資源収築の拠点、つまりジーンバンク(Gene bank)として重要な役割を果たしてきた。そのため、各国の主要植物園の歴史を紐解くと、イギリスがパラゴムノキをブラジルからひそかに盗み出した事件など、国家的な遺伝子源の争奪戦のドラマが、植物園を舞台に繰り広げられて来た。

こうした学術色の強い植物園の最古のものは、エジプトのアレクサンドリアにあったアレクサンドリア図書館に隣接して設けられていたものだと思われる。アレクサンドリアのものは、薬草として使うために、種類ごとに採集、分類して栽培されていたものだと伝えられている。用途はハーブオイル、治療など多岐にわたる。

東南アジアで少数民族の村を尋ね歩いていた時にも、「まだまだ薬になる原種がこの熱帯雨林にたくさんある」「それを求めて、欧米や日本からさまざまな人たちが来る」と聞きました。


また、「植物の持つ特性を変えてはいけない」と正確に描くボタニカルアートも、それが薬にも毒にもなるからこそですね。


「こういう症状にこの植物が何か効くらしい」と経験的に積み重ねられて来た知識が、「この量で効果があり、この量で毒となる」とわかるようになったのも、人間の歴史からみたらここ1世紀とかの話なのかもしれません。
そうなるまでに、どれだけの失敗や犠牲があったのでしょうか。


植物園をまわりながら、そんなことを考えています。



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