イメージのあれこれ 4 <「エビデンス」とは>

エビデンスという言葉も、いまだに私自身はもやもやしたイメージでしか理解できていない言葉です。


たとえば「科学的根拠に基く快適で安全な妊娠出産のガイドライン」の時にも思ったのですが、自分が信じたいことや理想の実現のために根拠を寄せ集めるという本末転倒なニュアンスの方が、周産期看護の領域では多い印象です。


代替療法とは何かを考えている中で、たしかkikulogのコメント欄だったと思うのですが、どなたかが「効果が認められれば標準医療になる」というようなことを書かれていて目から鱗でした。


私の医学知識のレベルでは個々の代替療法の効果の判定方法までとても理解できませんが、「なんとなく良さそう」ではいけないし、妊産婦さんや患者さんからの質問にどう応えたらよいのだろうと逡巡していました。


それ以降、母親学級や妊婦健診などでの質問には、「効果はよくわかりません」「効果が認められれば標準的な医療として認められ、保険適応で医師から勧められるでしょう。」「そうでなければ、まだ実証されていないと受け止めればよいかもしれません」と、そのフレーズを使わせてもらっています。
「骨盤ベルトは効果がありますか?」「逆子になったら鍼灸にいったほうがいいですか?」「このサプリはどうですか?」など質問された方も、「ハッ」と我に返った顔になります。


現実の人間関係では、代替療法を真っ向から否定する言い方をするとかえって深みにハマったり、否定されたことへ反発する気持ちを生み出しそうなので、やんわりと「ご自分が気持ちがよいと思って使う分にはかまわないと思います」「人にはあまり勧めないほうがよいかもしれませんね」とつけ加えておきます。


エビデンス」の意味についての議論や、それぞれのエビデンスの医学的な議論にはついていけなくても、たいがいはこれで説明できるし、納得してもらいやすいと思っています。 


ただ、「効果が認められれば標準医療になる」というひと言も、国が違えば使えない場合もあるかもしれません。


それと、「今はこの方法が有効と思われていても、何年かたてば考え方が変化している可能性もあります」ということもつけくわえています。


エビデンスという言葉を平易にいい換えるとすれば、「そうであってほしい」といった感情や思想を排し、そして「以前は効果があると思われていたが実は効果がなかった」「むしろ危険性があった」といった失敗も受け止める度量も併せ持つというあたりでしょうか。


あ〜、でもやっぱりよく理解できないもやもやした言葉ですね。




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