発達する 6 <自分の代わりになる人の存在が大事>

現在、全国の分娩施設で60代から80代までの助産師が何人ぐらい、どのような業務に従事しているのか全体像はわかりませんが、夜勤を続けて分娩介助までしている方もそれなりにいらっしゃるのではないかと思います。


80年代を境に救命救急や周産期医療の発達によって分娩介助にも新しい医療技術の導入がとても増えました。
社会が求めるお産の安全性に対応するためには、新しい知識や技術についていかなければならない時代です。


私が助産師の新卒の頃に一緒に働いていた高齢の先輩助産師も、時代の大きな変化を乗り越えて病院での分娩介助に適応されていった方々でした。
さらに、現在の高齢の助産師は、1980年代の助産師には比較にならないほどの知識や技術のアップデートを求められています。
「知らなかった」「昔からこういうやりかただった」では済まない時代ですから。


私自身、今後いつまで助産師として働くかを考える時に、この知識や技術のアップデートをする意欲がなくなった時が引退の時だろうと考えています。


ただ、その引退の前にもう少し「過渡期」があると漠然と感じています。


<交替要員を確保する>


40代の頃は、まだ「自分が頼られていること」「自分の存在が職場にとって欠かせないこと」が責任の重さとともにやりがいになっていた部分があります。
知識・技術ともに充実期にあって、私の判断がけっこう正しいのではないかという自負が強くなっていました。



50代になる頃から、こういう気持ちを強く持った人の存在というのは、むしろ後輩の成長を妨げたり、職場が変化するのには邪魔になるのかもしれないと、少し引いてみるようになりました。
私が正しいと思っていたやり方もそれほどこだわることではないことかもしれない、いろいろな気持ちや見方があるのだということにようやく、自分自身が妥協できるようになったといえるかもしれません。


もうひとつは健康面での限界を意識することが多くなったことです。
小規模施設だと、けっこう高齢の女性が看護スタッフだけでなく食事清掃などに従事しています。
子育ても終わり、比較的、自由に働く時間をとれることも理由にあるようですが、こうした方々に支えられています。


ただ、ぎりぎりの人数の中で、その方が体調を崩したら交替要員を探すのは大変なことです。



70代から80代の先輩助産師と一緒の夜勤の時には、その無駄の無い動きや落ち着いた判断に学ぶことも多かった反面、「夜勤中にこの先輩が倒れたらどうなるか」と頭の中で救急処置のシュミレーションをしてちょっと緊張していたことを思い出します。


「自分はまだまだ大丈夫」と過信して倒れた時の交替要員がいない。
それだけは避けたいと最近思うので、どういう働き方をするのか模索中です。





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