記憶についてのあれこれ 122 <「日本人にはキリスト教は理解できない」>

キリスト教について考える時に、いつも一緒に思い浮かべるひと言が、今日のタイトルです。


誰から言われたかといえば、「無とは何か」「イデオロギーに入り込むな」「短期中期長期の3つの視点で考えなさい」といった私にとって大事な言葉となったものを残してくれた父です。


20代に入って私がキリスト教に関心を持ったことを知った時に、父から言われました。


その後は私の宗教について何も言いませんでしたが、やはりどんな集団と関わっているのか心配だったのでしょう。
直接、牧師と話をしたらしいことを後日、知りました。
私自身の人生なのに、なんと余計なことをとちょっと苛々したのでした。


ただ、その後は私の選択に決して口を挟むことはなく、一度だけ「このキリスト教の資料をあげる」と渡されたのが、キリスト教とは似ても似つかぬ教義をもった団体のものでした。
この時に、私は「本当に日本人はキリスト教を理解できないのだな」と父のことも心の中で見下すような気持ちが沸き上がったのでした。


でもあのひと言がずっと気になり続けていました。


<合理性よりは感情を大事にする社会だからか>


高校生の頃、古典の授業がけっこう好きだったのですが、それでもなぜ「源氏物語」を高校生に教えるのだろうと、そこだけは苦手でした。
古文や漢詩には、昔の人なりの人間観察に基づく人生の法則性のようなものが書かれているものもあり、そういう内容にはとても興味を惹かれたのですが、源氏物語のどろどろした恋愛感情が書き綴られたものを読み、何かを学ぶことが苦痛に感じたのでした。


旧約聖書にもエステル記のように、後宮の話など苦手な箇所はあったのですが、それでもなにかそこから教訓を得られるものです。


古典だけでなく現代国語でも、私小説のどろどろした感情に入り込ませる授業はとても苦手でした。


もしかしたら、こういう感情に主眼を置かせる教育が、日本人が合理的に考えることを遠ざけているのではないかと、偉そうに結論づけていました。
よくよく考えれば、私自身が感情に引きずられやすく、頭がごちゃごちゃしていたのですけれど。


ですから、日本の古典に比べて紀元前から自然や人間が観察されて記録され、後の科学につながる聖書の世界は、父を含む日本人には理解しにくいと感じるのではないかと思っていました。



<「黒を白に、白を黒に」>


今でも父のひと言の真意はわからないので、あれこれ推測するしかないのですが、父が認知症になってからエリートの時代はすっかり忘れているのに、ある時、それまで聞いたことがなかった公職追放時代に東京YMCAで採用してもらったことを知りました。


懐かしそうにYMCAにお世話になったと話す様子に、父のあの言葉は「キリスト教が嫌い」「日本人には仏教や神道だけが合う」といった排他的な感情ではなかったということが、少しわかりました。


父がキリスト教に出会った、1940年代後半はどんな時代だったのでしょうか。
日本基督教団の歴史を読むと、日本のプロテスタントの歴史の中にも「黒を白に、白を黒に」の部分があり、それが今もなお内部の混乱になっていることがわかります。


Wikipediaの「戦前の合同」に「伊勢神宮参拝」があって、1942年に初代の富田満総理が「天照大神に教団の設立を報告した」とあります。
今の時代から見れば滑稽な話です。
でも、当時の人を簡単には批判できない状況があり、そういう局面で少しずつ人間というのは前に成長するのではないかと、今では思えます。


もしかしたら、父は「黒を白へ、白を黒へ」と葛藤していた自分と、日本のキリスト教会の流れを重ね合わせて見ていたのかもしれません。
そして、教義という理想と現実がいかに乖離しているか。
だから「理解できるはずがない」のひと言になったのかと。
父の真意はもうわからないのですが。


晩年の父は、認知症になっても坐禅を人に伝えていました。
自閉症の少年ととても気が合って坐禅をしていたらしいことを、後に聞きました。


僧侶の権威も、お寺を持つことにも関心がなく、坐禅を続けたのだろうと思います。
そして、先日、小さな家族葬のあと献体へと向かいました。
父は、本当にいろいろなものを私に遺して。




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