客観的のあれこれ 5 耳栓の対応能力のようなもの

母の面会へ行く時には、比較的長い時間、同じ電車やバスの中にいます。

出かけてからいつも失敗したと思うのが、「次は耳栓を買おう」と思っていたのに忘れてしまうことです。

スマホのイヤホンは使っていないのですが、耳栓がわりになるかなと試してみてもどうも耳にフィットしないのです。

今回の旅では準備物品のリストに入れて、初めて耳栓を買ってみました。

 

これが、ほんとうに優れものでした。

耳栓をしなかった理由のひとつに、車内放送が聞こえなくなるのではないかという点がありました。緊急時の放送を聞き逃すのは困るので。

ところが不思議と車内放送はある程度聞こえるのに、ほかの人の会話などからすっかりと解放されました。

もっと、早く購入しておけばほかの人の会話を聞かなくてすみましたし、車窓の風景をみながらいろいろと考えることに集中できていたことでしょう。

 

最近、電車内でさまざまなイヤホンをつけている人が増えましたが、以前のように音楽のシャカシャカ音が漏れている人がほとんどいないので性能が良くなったのかなと思っていたのですが、もしかすると耳栓がわりに使っている人も結構いらっしゃるのかもしれませんね。

 

時々利用している高速バスでは「大きな声での会話はお控えください」と車内アナウンスが時々あるのですが、そのアナウンスをしている時にも大きな声で喋っている人たちが必ずいます。

「ああ、また1時間半ぐらい苦行の時間が続くのだ」と、耳栓を買い忘れたことを悔やむのでした。

 

先日の新幹線では横浜から乗った人たちがずーっと喋り、ずっと笑い声があがっていました。

耳栓の出番だと思ってつけてみたら別世界で、おかげで名古屋までの川に集中することができました。

 

旅の途中の会話も醍醐味のひとつなのかもしれませんが、私には周囲の乗客がじっと耐えて沈黙しているようにみえてしまうので、なんだかその状況にも居心地の悪さがあります。

ただ、延々と喋る続ける人は、沈黙の静かさの方が居心地が悪いのかもしれないですが。

自分の声の大きさとか質とかはなかなか客観的にみることが難しいのでしょうか。

 

それにしてもシリコン製の変哲もない耳栓の性能はすごいと、通勤電車でも持ち歩くようになりました。

ところが、数メートル離れたところにいた女子学生の大きな笑い声は耳栓を容赦なく突き抜けてきたので、声の数値とか質とか耳栓を作るための研究はどんなことがなされているのか気になったのでした。

 

 

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