10年ひとむかし 27 <「22才の別れ」の感じ方>

神田川について考えていたら、かぐや姫の歌とあの時代の雰囲気がいろいろと思い出されました。


1970年代に入ると、自宅にスピーカー付きのステレオを買ってもらってレコードを聴くことが、贅沢ではなく「ちょっと贅沢」のレベルになるぐらい、日本が豊かになり始めていた時代でした。
サイモン&ガーファンクルとかカーペンターズなどのレコードや、日本だとかぐや姫やチューリップが好きで、時間があると繰り返し聴いていました。


ああ懐かしいな、「22才の別れ」とか「妹」とか。
と思ってWikipediaを読むと、「妹」は解散前最後の曲になっているし、「22才の別れ」は正確にはかぐや姫時代の曲ではないとか、かなりかぐや姫についての記憶があいまいだったことに驚いています。


ただ、1970年代当時中学生だった私にとって、「三畳一間に一緒に暮らして銭湯に通う二人」とか「22才」というのは、とても大人の世界でした。
実際に自分自身が22才になっても、まだその大人の世界が手に届いていないようなもどかしさを感じるほど大人の雰囲気をその歌の中に感じていたのでした。


<当時の「22才」の意味>


久しぶりに「22才の別れ」を思い出して、この曲ができた1975年当時と私が22才になった1980年代前半では、特に女性にとっての「22才」の受け止め方はかなり変化をしていたのではないかと思い返しています。


70年代から80年代であまり変化していない点は、「25才はお肌の曲がり角」と「25才までには結婚して第一子を出産する」という社会からの無言の圧力のようなものかもしれません。


変化した点と言えば、1980年代前半に私が22才になった頃は、女性の進学率が少しずつ上昇し、経済力も持ち始めて、男性がまだ終身雇用制の中でがんじがらめになっていたのに対して、どうせ結婚退職するならその前に海外へと女性のほうが活動的になっていったことでしょうか。
それでも25才までには「寿退社」することが暗黙の了解のようになっていました。
女性の職業の中では、昔から長く働き続けている人が多いイメージの看護職ですが、私の周囲の人も25才の壁をかなり意識していました。


そんな時代ですから、「22才の別れ」というのは現代の感覚なら「また新しい恋人を見つければいいや」ぐらいの意味に受け取れるかもしれませんが、当時はかなり切迫した心境の歌に受け取っていた人も多かったのかもしれないと思い出したのでした。


私ですか?
当時の私は、22才の別れごときで人生が終わりになりそうな日本の社会の辛気臭さが嫌で、海外に飛び出したのかもしれません。
「22才の別れ」は好きな歌でしたが。


<42才に対する感じ方>


ちょうど神田川からそんな回想をしていた時に、このニュースを見ました。
その時にまず目に入ったのが、42才という年齢でした。


私が助産師になった頃はまだ30才で高年初産と言われていて、その後徐々に出産年齢が上がっていったことはこちらの記事に書きました。
90年代だとまだ30代後半の方のお産でも戦々恐々で、40代の出産というと子どもがすでに成長しているけれど避妊に失敗したという方ぐらいという雰囲気でした。


その後は30代から40代で初産という自ら選択した方も増え始め、40代出産の分母が増えるに従って、それなりにリスクはあるけれど個人差もあるし、なんとかなることが多いのかなぐらいの認識に変化しました。
まあ、体力的な問題や健康の不安、サポートしてくれる両親の高齢化とか介護が重なるとか、実際に日々接している妊産婦さんの状況をみるといろいろとありますが、40代の出産・子育てはそれなりに用意周到にすれば、個人の選択の話でよいと思います。


その是非の話ではなくて、あらためてこの30年ほどの出産する女性の年代層やバックグラウンド、あるいは意識の変化はかなり急激で大きいのだろうなと感じました。
もしかすると、人類の歴史の中でもかなり特別な変化があった時代ともいえるのではないかと。


私たち世代だと、25才までに第一子を出産すれば、42才というと「孫ができる」年代でしたから。
同じ40代でも、孫がいるぐらいの女性とこれから子育てをする女性では、社会に求めるものも違うのかもしれませんね。
世代間の相違だけでなく、同じ世代でさえその人生経験の幅が相当ある時代になったのかもしれないと。


「22才の別れ」と聞いて、どう感じるのでしょうか。
そんなことがふと気になったのでした。



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