雑司ヶ谷霊園と豊島岡墓地を訪ねたあとはどのように歩こうかと地図を眺めていたら、文京区立肥後細川庭園のすぐそばに水神社を見つけました。
以前、このあたりは神田川左岸にある氷川神社から右岸側にある甘泉園公園を訪ね、急な上り坂を歩いて早稲田大学のあたりを歩いたり、水道町から後楽園まで歩いたことがあります。
そこに水神社があるとは。
神田上水にちなんだ水の神様でしょうか。散歩のコースが決まりました。
*文京区の谷を歩く*
豊島岡墓地は南側が、新大塚駅のある高台に向かって谷になっていて、そこに住宅が立ち並んでいます。
以前、小石川植物園から都立大塚病院そして東京都監察医務院のそばを通って、このあたりを歩いたときにも、この谷に驚いたことがあったことを思い出しました。
この複雑な地形について確か読んだことがあると、引っ張り出した「水系と3Dイラストでたどる東京地形散歩」にありました。
「文京区に刻まれた三つの谷へ」によると、以前、この谷には水窪川が流れていたようです。
そして護国寺の前の広い音羽通りは、水窪川が途中で音羽川になり、西側の弦巻川と挟まれた谷だったようです。
最も谷らしい谷といえば、音羽谷だろう。ビルに隠れているが、谷の両側は断崖である。音羽谷は、護国寺から南東にまっすぐ伸びる音羽通りとほぼ重なる。音羽通りが開通したのは、五代将軍徳川綱吉の時代で、天和元年(1681)に創建された護国寺と同時に新規造成された。護国寺が創建される前、護国寺の土地には御薬種畑が広がり、音羽谷には水田が広がっていた。
護国寺を過ぎたところの首都高5号線と不忍通りが交差するあたりは、道が蛇行しています。そして不忍通りの北側の清土鬼子母神に向かって下り坂になっていて、これが弦巻川によってできた谷であり、その先が雑司ヶ谷であることが、この本を読んでようやく理解できました。
本当に、複雑な地形です。
*目白台から神田川へ*
地図ではそこに目白台運動公園が描かれているのですが、そこに田中角栄元首相の自宅があったことを3年ほど前に知りました。
その運動公園を過ぎて神田川へと下り坂を降りていくと、途中から膝がガクガクしそうな急な石段になりそこに神田川を見下ろすように水神社がありました。
文京区のホームページに説明がありました。
水神社(すいじんじゃ)
いい伝えによれば、水神が八幡宮社司の夢枕に立って、「我水伯(水神)なり、我をこの地にまつらば堰の守護神となり、村民をはじめ江戸町ことごとく安泰なり」と告げたため、ここに水神を祀ったという。
日本最古の神田上水は徳川家康の命により大久保藤五郎によって開かれた。
井の頭池を水源とし、神社の前を流し、すぐ下流の大滝橋あたりに堰を築き、水位を上げて上水を水戸屋敷に入れ、樋(とい)で地下を神田や日本橋方面に流した。
当時のこのあたりの様子はどんな感じだったのでしょう。
神田川はほとんど歩いた気になっていたのですが、まだまだ知らないことばかりです。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。