事実とは何か 45 <「お母さんと赤ちゃんが一緒にいられる」ための運動とは何か>

議場に7ヶ月の乳児を連れいて行った件のだいたいの背景が見えて来たような気がします。


最初は、市側にも何か別の対応方法があったのではないかとも思いつつ、その後の詳細を知りたいと思っていました。
じきに、11月23日付けで「荻上チキ 赤ちゃんと議場入りした緒方夕佳・熊本市議インタビュー」で、本人の言葉を読むことができましたが、「ああ、やっぱり」と少しだけピンと感じた部分がありました。

去年、子供を授かりまして、その報告を議事会事務局にした折に、「生まれてから、小さな赤ちゃんのいる状態での議員活動をサポートしてほしい」っていうお願いをしまして。で。具体的には「いつでも授乳をできるように議場に連れて行きたい」というような話をしまして。そしたら、「議場は難しい」と。ならば、いま国会の方では議員用の保育所なども整備されているんですけれども、熊本市議会にも託児所が作れないか?そこは議会の傍聴に来られた方も預けられるので、託児となると人間と場所を両方確保しなくてはいけないので。議員としてはまだ私しか、利用者がいないのであれば、まずは人だけの確保ができないか?というような話をしてきたんですけれども・・・。」


ただ、この時点では、「仕事と子育ての両立の問題」に対して、「妊娠がわかった去年から赤ちゃんを連れてくることはできないか、議会事務局に相談してきましたが、前向きな回答は得られなかった」「自分でベビーシッターを雇って預けてきてください」といった、市議会側は何もしなかったイメージの情報しかありませんでした。


昨日の、「乳児連れ議場に 子育てと仕事の両立『個人の問題と片付けないで』 緒方夕佳:熊本市議に聞く」(毎日新聞)の記事を読むと、「市議会側は『議員さん個人でベビーシッターを雇って、議員控室で見てもらってください』という答えだった。1、2時間しても平行線だった」とあります。


市議会側は、「議員控室で授乳をしてもよい」と譲歩、提案していることになります。
それだけでも、議会開催中の授乳時間と場所の確保という前例作りに十分貢献したことになるのに、件の議員さんには「平行線」「個人の問題と扱われた」と思われた理由がわかりました。

生後7ヶ月の長男を抱いて入場したことについて「子育てと仕事の両立に苦しむ女性の悲痛な声を可視化したかった」と説明。「母子を分離させないで一緒に働ける選択肢があってもいい。子育て世代と連携しながら継続的に働きかけたい」と語った。

私が目指すのはさまざまな子育てや働き方のスタイルを認め合うこと。その一つとして仕事によって母子が分離されない姿。一緒にいるのは赤ちゃんにも母親にも大切。赤ちゃんの発達にも必要で、大事な部分でもある。産休後は「預けなければいけない」ではなく、母子を分離しない働き方もできるようにしてほしい。作業効率は少々落ちるかもしれないが、自分たちの幸せ、子供の幸せのために生きて、働いているのだから。


この部分を読んで、ほぼ確信になったのでした。
やっぱり1970年代からの、「母乳育児推進運動」が鵺のように広がり、形を変えているのだと。
一見、「正しく良いこと」として。
誰もその正しさには文句はつけられない強さを持って。



<1970年代当時はどんな雰囲気だったのか>


毎日新聞の記事が出る少し前、「北欧留学情報センター」のtweetに、議場で授乳をしている女性の写真とともに以下の内容がありました。

1974年、初めて市議会に子連れで現れ授乳しました。当時のデンマーク人女性市議会議員のティーナ・シューメゼスさん。当時世界初のニュースとなった。デンマーク人女性の真骨頂とも言える大胆な行動でした。この人の行動が先例となり、子連れで議会に現れる女性議員が出始めました。


今回の件で期せずして、私が知りたかった1970年代の雰囲気を少し知る機会になりました。


そして、こちらの記事の「背景にある母子擁護グループの行動」で紹介した、ダナ・ラファエル氏が「母乳哺育のエリート」と表現したこととつながりました。

西欧社会のエリートとの間でなされる母乳哺育はもうひとつのパターンです。アメリカの豊かな中の上の階層の人々のことは私たちには周知のことなのでひとまずおくとして、おもしろいのはイギリスであろうと、ナイジェリア、ニューオリンズであろうと専門職についている女性には皆同じパターンが見られることです。

彼女たちには、母乳哺育をする時間のゆとりがあり、皆母乳で育てるのは価値があることで楽しい経験だと知っています。

他にも方法があるのにわざわざ母乳哺育を選ぶのです。母乳哺育をするといい女、いい母親になれる気がするし、また母乳を通して一層母子の絆が強まると思うのです。

もし母乳哺育以外を選ばねばならない事態になれば彼女たちは加工乳も買えるし、子どももそれで十分に健康になれるのです。

1970年代の豊かな国の「赤ちゃんと母親が一緒にいられること」を求める運動が、その後WHO/UNICEFを動かし、「母乳育児成功のための10か条」にその言葉が入れられました。
その結果、完全母乳と母子同室を強行に進める信条となり、帝王切開直後の母親のカンガルーケアや授乳が当然のことという圧力になりました。
「完全母乳が大事」「母乳で育てるべき」と思い込まされた方々が増えて、母親も精神的に不安定になったり体重が増えない乳児にミルクを足すことさえ拒否されることがあります。


議場に乳児を連れて行き授乳をする女性たちの行動が起きた頃の、社会の雰囲気はどうだったのだろう。
鵺のようにこうしたことを広がらせていく力は、どこから出てくるのだろう。


毎日新聞の記事に、「子供の育ちや幸せを重視すべきだ」という小見出しが目に留まりました。
子供の「育ち」という言葉を使うあたりに、ニュースや書籍をつくり出す側の無意識の何かを見てしまったような気がしました。
ホント、この感覚が助産関係の出版物やニュースでも現実の問題を見えなくさせてきましたからね。





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