気持ちの問題 50 <小さな神をあがめたくなる時>

胎児記憶のサイトに、「胎内記憶を通じて」があり、こんなことが書かれていました。

池川明先生の胎内記憶という言葉を池川明先生に知り合うことができて
そしてさらに言うと「かみさまとのやくそく」という映画をみることによって 全部みんな自分たちは親を選んで生まれてきたんだと
そして結局は全部意味があって すべてに。
20代とかまで私はなぜ私は私なんだろう なぜなんだろうって
すごくいろんなことを意識して悩んだりもしていたんですけども
結局やっと胎内記憶を池川先生とその映画がつながることができるようになって それからですね
すごい心が楽になったと言うかいろんな友達にいっぱいぜひ見てぜひ見てとみんなに勧めるようになっていったんですけど


一番よかったことはやっぱり
「自分が全部決めて生まれてきたんだ このお父さんとお母さん」
そして「もしかしたらこの妹たちも全部決めて生まれてきたのかもしれない」
って思って、
それからは自分をようやく認めることができるようになった
そして認めることができるようになってからやっと自分を大事に 要するに愛せるようになってきた そこがすごく私の中ではとても変わったところになりますね。


肝心の「胎児を一人前の存在として尊重する」(「胎内記憶とは」より)の胎児については触れていなくて、すべて「自分」の話になっています。


自分探し自己啓発セミナーなのかもしれません。


「胎内記憶教育」で育てたはずの我が子から、思春期になると「生んでくれといった覚えはない」と言われる可能性を全く想定していないかのような信じ込み方に、ちょっと危うさを感じるのですが。


現実の葛藤を乗り越えるには、自分探しではなく「ちっぽけな自分」を笑いとばし、相手(他者)の素晴らしいところを認められ、でも「自分も捨てたもんじゃないな」という安定した自己肯定感のほうが応用がきくような気がします。


そして、ちょっと良いことを言って近づいてくる神になりたい人を遠ざけられるのではないかと思いますが、痛い経験をくりかえさなければわからないのが、人生の不思議さかもしれませんね。


私はどちらかというと、「正しいこと、良いことをして、他の人に影響を与えたい」小さな神になりたかった方の自分探しだったので、もしもう一度子ども時代をやり直せるとしたら、「世の中にはいろいろな価値観や気持ちがあるよ。どれが正しいとか良いとかではなくて」ということを両親が教えてくれたら良かったなあと思っています。


でも、今は反対に距離を持っていた両親からやはり多くのことを与えられていたのだと思います。
もちろん選んで生まれたわけではないですけれど。
だから人生って不思議ですね。



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