アイリッシュハープ

昨夜、内幸町ホールで「アイリッシュハープのしらべ」という小さなコンサートがありました。


アイルランド・日本外交関係樹立60周年記念事業」として、昨年からいろいろな展示や催しが開かれているのは知っていたのですが、なかなか日程が合わずにいました。


アイルランド大使館後援で無料、先着180人ということでしたので、入れるかなとドキドキしながら早めに到着すると、まだ十数人目でほっとして席を確保。
開場してからも、まだ席はぼちぼちと埋まるぐらいだったので、やっぱりアイルランドを身近に感じる日本人はまだまだ少ないのかなと、少し寂しく感じたのですが、じわりじわりといつの間にか3分の2以上は埋まってコンサートが始まったのでした。
まあ、年の瀬のしかも月曜日の夜ですものね。


アイルランドの、というよりはアイルランド系の音楽を初めて知ったのが、ウインダム・ヒル・レコードから出された「Nightnoise」をアイリッシュ系の友人からもらった1984年でした。
せつないような、それでいてどこか明るいような不思議なメロディと音色に引き込まれました。
音楽の素養がほとんどない私なので、うまく表現できないのですが。


90年代に入ると日本でもCDが手に入るようになり、発売されるたびに購入していました。
音楽を聴かない生活になった今も、アイルランド系の音楽のCDだけは捨てずに持っています。


昨夜のコンサートは、高山聖子氏、藤本睦美氏、近藤薫氏、梅田千晶氏の4人のハープ演奏者と、アイリッシュ・フルートの演奏者、豊田耕三氏による演奏でした。
アイリッシュ・ダンスを検索しているとアイルランドの音楽や舞踊に関心を持つ人が国内にも増えていることは知っていましたが、こんなにプロの奏者として活躍されていらっしゃる方がいるなんて、30年という長さがうみだした変化ですね。


アイリッシュハープの説明に、「12世紀頃から存在していた。18世紀頃一時途絶えたが、19世紀にダブリンで復元された」と書かれています。
あるいはアイルランド音楽の中では、以下のような説明があります。

日本では他のケルト圏の音楽とともにケルト音楽とまとめて呼ばれることも多いが、アイルランド人のアイデンティティーや文化に強く由来しているものの多く、こうした「ケルト」という括りを忌避する向き"も"あることは念頭に置いておくべきである。特に、アイルランド伝統歌にはイングランドによる支配に対する抵抗戦争を歌ったものが多くあり、イングランド音楽と混同しないよう配慮するのが望ましい。


このわずか一行や、一文の行間の意味を理解するということは、知識としての歴史だけではなく、生活の中のニュアンスとでもいうのでしょうか、そういうものを感じ取ることなのかもしれませんね。



「庭の干し草」というアイルランド民謡の演奏で、今までの私の中にあるアイルランドについての記憶が一気に呼び覚まされたような感じになって、ちょっと泣けました。
「走馬灯のように思い出す」という言葉は、半世紀ぐらい生きると実感するものだなあと変な感心もしながら。


ただ、やはりアイルランド音楽はリズムに乗りやすいので、いつのまにかタップを踏んでいました。
上半身は動かさないアイリッシュダンスのように。
ギネスビールを片手に、こんな素敵な音楽を気軽に聴けるパブが広がるといいですね。
100周年記念ぐらいになると、そんな世の中になっているかもしれません。




アイルランドについてあれこれ書いた記事のまとめ。

「世界はひろいな 15 <アイリッシュ・ダンスを観にいった>」
「記憶についてのあれこれ 19 <アイルランド>」
「トリニティ・アイリッシュ・ダンス」
「散歩をする 18 <内藤新宿から半蔵門へ>」
「仕事とは何か 1 <葛藤こそ仕事>」
「仕事とは何か 2 <路頭に迷う>」
「世界はひろいな 45 <ヘビのいない場所>」
アイリッシュ・ダンスとタップダンス
食べるということ 43 「アイリッシュ・スプーン」
食べるということ 52 生演奏を聴きながら
アイルランド音楽を愛する人を応援
水のあれこれ 156 アイルランドの水害
世界はひろいな 53 アイルランドの妄想の旅