簡単なことを難しくしているのではないか 10 <「出産」や「育児」の小さな神になりたがる>

いつものようにうさぎ林檎さんの妖怪アンテナが、日本胎内記憶教育協会という団体の存在をキャッチ。
「胎内記憶」についてはお腹いっぱいなのですが、「教育」がついたので何を言っているのか覗いてみました。


「胎内の状況は子どもの将来を左右する」とか「胎内記憶を前提とした出産・育児」にはどんなすごい事実があるのだろうと読んでみました。


子どもがたまに「おなかの中にいた時はこんな感じだった」とか「生まれるときにこんな感じだった」と話すことは事実なのですが、それは「客観的には神秘でも奇跡でもないものが個人にとっては神秘にも奇跡にもなる」でよいのではないかと思います。
ですから、どうして子どもはそういう発言をするのかについてだけ、純粋に研究されたらよかったのですけれどね。


ひとっとびに「胎内記憶」と理論化をしようとするからつじつまが合わなくなり、根拠の乏しい精神論で育児や子育ての話にすり替わってしまうのだろうと思います。


妊娠・出産・子育てに関わる周産期医療従事者の中には、こうして「小さな神になりたがる」人が多いのかもしれません。
「こういうお産をすると、幸せになる」
「自然なお産をすると、いい子に育つ」
「女性には産む力がある。赤ちゃんには生まれる力がある」
「母乳で育つといい子になる」
「人類は哺乳類だから母乳だけで育てられる」
「○○ベルトをつけると、胎内からいい子が育つ」
「新生児からおむつをつかわない」とか・・・。
ホント、変な世界だと思います。


最初はそんなことを求めていなかった人たちも、妊娠・出産・子育て中というのは感情が揺さぶられることが多いのか、するっと信じていってしまうのでしょうか。



<他を貶めて小さな神になる>


そのサイトの「胎内記憶とは」をまず読んでみました。
読んでも胎内記憶の定義がよくわからないのですが、「胎内記憶を認めるということは胎児を一人前の存在として尊重することにつながります」と書かれています。


具体的にどういうことが「尊重する」ことなのか、いくつか書かれていますが、こんな感じ。

(4)現在のお産は、母体死亡や死産を防ぐことのみを目標としがちだが、誕生記憶があることを知った医療者は、母子の身体面だけでなく情緒面の安全にも配慮するようになるため、母子の絆を深める分娩ができるようになる。


日本中の分娩施設のスタッフに謝って欲しいレベルの、独善的な発言だと思います。


「病院のお産は」「病院では授乳方法を教えてくれない」と過度に一般化したイメージを作り、自分たちの正しさをアピールしようとするのは、自然なお産や自然育児、あるいは母乳育児推進運動でさんざん見て来た光景です。


それは、ほんとうは10年とか20年の長さで見ればたくさん良い方向に変化していることに気づかず、無用な対立的な感情を残します。



<大人の方便>


では、具体的に「胎内記憶を前提とした出産・育児」とはどんなことなのでしょうか?
「父親のサポート」に、こんなことが書かれています。

日本では近年、父親の立ち会い出産が増えていますが、本当はお産に立ち会うだけでは不十分です。立ち会わないよりは立ち会ったほうがいいでしょうが、その場限りの体験になってしまっては、あまり意味はありません。

できれば妊娠中の早い段階で、一緒に健診に来てエコーを見える等、胎児の存在を実感できる機会をもつといいでしょう。一般には、健診に父親がついて来ても、医師は母親と会話するばかりで、父親は無視されるケースも多々あるようです。


な〜んだ、そんなこともうどこの施設でも対応していることではないですか。
「待合室の30年の変化」にも書いたように、父親が健診に同席することは珍しくないし、私が働いて来た施設では、父親にも丁寧に説明してくれる産科医や小児科医の先生がほとんどですけれど。


それに、健診に一緒に来れなくても、分娩や産後に「ここぞ」という時には妻や子どものために全力を出してくれますからね。



「胎内記憶」なんて大人の方便を使わなくても、相手に真摯に対応するで済む話ではないでしょうか?



「私はお産が上手」「私は母乳のことをよく知っている」「私は赤ちゃんのことをよく知っている」という思い込みが、本当はわからないことがたくさんあることを見失って自分を小さな神に仕立て上げやすいのかもしれません。



そして資格商売になっていく。




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