存在する 8 <存在感が薄れていく>

70代後半になって、大きな病気や手術で人の手を借りることが格段に増えた頃から、それまではそれなりに生活をしてきた母の判断力があやしいものになりました。
視力や聴力が落ちる事も、それに拍車をかけるようです。


ですから、仕事でしょっちゅう駆けつけられない私や兄弟に代わって、できるだけヘルパーさんなどを頼んで母が自分でできることは自分でしてもらおうと思っていても、周囲が不安に感じるので結局は家族が呼び出されることになります。


日本社会の、この家族と一蓮托生のようなシステムはあちこちでたちはだかることを感じます。
家を借りる時にも高齢の両親が保証人になったり、とても形式的な「家族の存在」をいつも求められます。最近では、保証会社があるので、煩わしさはだいぶすくなくなりましたが。


医療機関でも、入院や治療にも家族の保証人が必要なことが多々あるのですが、病気のことから支払いまで、なんとか家族の手を煩わせることなく、自分ひとりで対処できる方法はないのだろうかと、ずっと考えています。


身体も心も弱っていけば、他の人を頼るのもしかたがないけれど、ここ2〜3年の母の状況を見ていると、手続きなどのシステムを変えればもう少し母が一人でできることもあると思います。


<相変わらず膨大な書類の記入と印鑑のシステム>


家を解体したあと住民票の変更をするのに伴って、けっこう書類がありました。介護保険や年金など何枚も同じような書式で、何度も旧住所と新住所を書いて捺印をしました。
座っているだけでも大変な母に代わって、私が記入しましたが、iPadのような画面にサインをして指紋を押せば、一斉に必要な住所変更が可能になるシステムがあればよいのにと思いました。


この時に、「母が母であることの証明」のために写真付きの身分証明書が求められたので、それまで全く使う場面がなかったマイナンバーカードを作ることになりました。
ところが住所変更をしてしまったあとなので、もう一度新しい住所での申請からやり直す必要があり、しかも受け取りは予約をとって市役所まで行かなければなりませんでした。


これで住所変更や社会保障関連の申請などが1本化できるのかと期待したのですが、今は単に身分証明のようですし、住所変更をしたらまたマイナンバー・カードをつくりなおさなければならないようです。


今まではなんとか杖歩行の母を市役所へと連れて行けたけれど、車いすになった状態で、あの膨大な書類をどうやって処理することになるのだろうと、頭が痛いです。


<高齢者だけでも預金とリンクできたら>


施設への支払いなども、限られた信用金庫や郵貯などへの振り込みしか方法がないことも多く、かといって手元に多額の現金を持つ訳にはいきません。
結局、お金の支払いにも家族がそのために出かける必要があります。


また、施設にもよるのだと思いますが、家族の都合がつかず介護タクシーやヘルパーさんを依頼して他の病院を受診した場合にも、その場その場で現金での支払いを求められることがあります。
かといって本人には多額の現金を持たせてはいけないという規則もあり、いったい何をどうしたらよいのかと途方にくれますね。


あるいは、施設内の売店で身の回りの物を購入するのにも、現金決済です。


マイナンバーカードと介護保険や預金などがリンクされていて、自動引き落としやキャッシュレスになれば、もう少し高齢者の自立が守られ、そして家族の負担もへるのではないかと思います。
実際には現金社会の意識を変えることも大変でしょうし、個人情報の漏洩とか問題点も多いのかもしれませんが、でも何か道はあるのではないかと思います。



お金のこととか手続きのこととか、一見小さなことなのですが、「私がここにいるのに、まるで私は全く無力かのように、若い人たちだけであれこれ決まっていく」状況が積み重なれば、存在感が薄れていくことに耐えられないだろうなと、20年後30年後の自分の姿を想像しています。





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