数字のあれこれ 31 <流量を測定する>

日常的に流量を意識するのは、点滴を実施する時ぐらいです。
この場合の流量は、「1時間に20ml」といったかなりゆっくりの流量で正確に滴下させることが大半で、今では輸液ポンプがあるので設定すれば正確な流量を実行することもできますから、本当に助かっています。


それ以外に、「液体が流れている量」を意識するのは2ヶ月に一度請求がくる、上・下水道の使用量ぐらいでしょうか。
夏場は少し使用量が増える程度で、ほとんど同じくらいの使用量です。
この場合、「㎥」の単位で計算されています。
家の外にこの水道メーターが設置されているのをみることもあるので、当たり前のような存在なのですが、使った水の量を正確に測定できるなんてすごいですね。


思い返すと、小学何年生だったか、水の量を測定する方法を学びました。容積とか体積の授業だったと思います。
まだあのころは計算するのが好きだったはずなのに、いつからこんなに数字が苦手になったのでしょうか。
それはさておき、久地円筒分水について考えていたら、流れている水量をどうやって測定するのだろうと、また小学生のような疑問がふつふつと湧いて来たのでした。


<水を正確に分けるための試行錯誤>


「先人の表現に出会う」で紹介した「武蔵野・江戸を潤した多摩川」(安富六郎氏、農文協、2015年)の中に、久地円筒分水ができる以前の江戸時代の試行錯誤が書かれていました。


著者は、多摩川周辺の水争いを解決するためには、「堰を増やして取水量を増やす」ことが解決になると用水奉行は考えたのではないかと思われるが、結局は争いがとまらなかったとして、その理由を以下のように書いています。


上河原堰からの用水幹線は、すでに述べたように、宿河原堰からの用水幹線と合流して、大幹線となる。その後、久地というところで各支線に分水しているが、その分水方法は合口という分水方式によっていたのである。

「ごうぐち」とは、分岐した用水の取り入れ口を水勢の同じ幹線の1カ所に集め、流れる方向に水路幅に比例させて隔壁を設けて分水する方法である。これを現代流でいえば、「背割り常流分水」である。


「常流」は、Macの辞書によると「水理学で、水の流れの速さが水面を伝わる波の速さよりも遅い流れ」だそうです。

しかし、この方法には欠陥がある。それは、水位の下がるところ、つまり水を多く取り入れるところに、水が引き寄せられることである。このため、この分水方法では、水争いは解決しなかった。二ヶ領用水も、この背割常流分水であり、久地も長い間、水配分を巡っての争いが耐えない合口として、広く知られていた。(p.21)


専門的なことは全くわからないのですが、おそらく「上流からの水量に着眼して、それを水門の大きさで分ける」という考え方が普通に出てくる方法だけれど、実は「下流の状況」のほうが分水に大きな影響を与えることが、次に書かれています。

常流分水では下流の流れの影響(バックラッシュ)が常流に現れる。これが大きな欠陥であり、水量調節の精度も悪い。しかし設置は簡単で堅牢、管理も容易である。一方、斜流分水では下流の流れが上流に影響を与えないから細かな分水調節ができる。水利権の厳しい分配堰に適している。

水理論に基づいた、下流の流れの影響が上流に及ぼさない斜流分水による近代的な円筒形分水堰が、1941(昭和16)年にようやく設置されて、この久地堰の分配比問題は解決した。

まず専門用語がよくわからず、つまずきながら読んだ文章ですが、流れている水の量を測定する難しさをどうやって克服してきたのだろうと、そんな関心が湧いて来たのでした。


きっと、またどこかで「あ、これを知りたかった」という本にであう予感がしています。
私も決して、数字が嫌いなのではなく関心はあるのですけれどね。




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