運動のあれこれ 14 <「現実と架空の接点を言葉一つで伝える」>

先日、調乳済みミルクが日本でも製造・発売されることになったニュースからいろいろ検索していたら、1年前の「藤原帰一の映画愛 汚れたミルク あるセールスマンの告発」(毎日新聞、2017年3月13日)という記事を見つけました。


この映画を私もちょうど1年前に観て、それから考えたことをいくつか記事にしたまとめが「適切な授乳」を普遍的に考えるにあります。
ただ、この毎日新聞の記事には全く気づきませんでした。


自分自身の忘備録として、残しておこうと思います。

現実と架空の接点を言葉一つで伝える


 パキスタンで粉ミルクを病院などに売り込むセールスマンが、乳幼児が死亡する事件に出会い、その粉ミルクを作る会社の告発に踏み切るというお話。劇映画ですが、限りなくドキュメンタリーに近い。それだけに、現実とフィクションの接点が焦点になるという作品です。

 アヤンは、パキスタンの製薬会社に勤めるセールスマン。国産品では病院に相手にされず、生活も成り立たないので、他国籍企業ラスタに転職したところ、病院医師などに渡す金品をふんだんに会社から与えられ大成功。トップセールスマンにのしあがります。
 ところがつきあいのあるお医者さんから、会社の販売する粉ミルクが乳幼児の疾患、さらに死亡の原因になっていることを知らされます。汚れた水に粉ミルクを混ぜて飲むために、母乳で育てば健康な赤ちゃんが、病気になっちゃうんですね。アヤンは、会社を辞め、粉ミルク販売の中止を求める運動に加わります。

 いかにもストレートな社会問題の告発ですね。監督したのは、ダニス・タノビッチ。ボスニア紛争を取材する「ノー・マンズ・ランド」でアカデミー外国語映画賞を受賞して以来、社会性の強い作品を発表してきた人です。
 そしてこれ、ネスレの粉ミルク事件にまるでそっくり。発展途上国で粉ミルクを使用した場合、不潔な水で作ったり過度に薄いミルクにしたりすることで乳児の健康を損なってしまう。なかでも乳幼児粉ミルクの最大手だったネスレに批判が集中し、1970年代末にはネスレボイコットに発展しました。

 粉ミルクをめぐる乳幼児の疾患は当時広く報道されました。ただ、この映画が取り上げるのは90年代後半ですから、ボイコットが始まってから20年後。ネスレ世界保健機関(WHO)の定める国際基準を受け入れ、第1次ボイコットが終わってからもずいぶん経(た)っています。
 この映画のモデルになったセールスマンは、自分がネスレで働いていた90年代後半にもWHO基準に反する行為が続いていたと、20年近くうったえてきた。その訴えを、映画にしたわけです。
 もっとも、会社の立場から見れば、乳児の疾患は汚れた水と混ぜたために生まれたものだ、粉ミルクのせいじゃないと主張することができるかもしれません。実名通りに映画にすれば、ネスレとの法律問題が生まれる可能性もあるでしょう。
 では、どうするか。タノビッチ監督、映画全体に、セールスマンの告発に基づいた作品という外枠をかぶせました。冒頭、映画製作を相談するなかでネスレという言葉が1回だけ出てくるんですが、その言葉を使っちゃまずいと弁護士が言うので、その後では会社名がラスタに変わります。ネスレと名指しはしないけど、これはネスレのことだよと観客に伝える。そのために映画の企画という仕掛けを作ったんです。

 映画の展開は、単純すぎるくらいにストレート。乳児への影響を知ると、アヤンはすぐに仕事を辞めちゃうし、お父さんや奥さんもそれに反対しない。巨大企業ラスタもパキスタン政府も悪役に徹している。社会悪の告発を急ぐあまり、ストーリーもキャラクターも置き去りになった印象が拭えません。

それでも、強い印象が残ります。衛生環境が悪く、安全な水の供給を期待することが難しい土地において粉ミルクを売るなら、重大な結果が起こることは避けられません。そんな過酷な現実を放置していいのか。そこから目を背けて生きてゆくことが許されるのか。ドラマの弱さを乗り越えて、社会正義への熱情が、観客の胸ぐらをつかむような荒々しさとともに伝わってくる作品でした。(東京大学教授)


私がこの映画を観た感想はこちらの記事に書きました。
この映画は果たしてノンフィクションなのかフィクションなのかと戸惑ったのですが、あれこれと考えているうちに「ドキュメンタリー風のフィクションでありプロパガンダ映画」だという結論になりました。


ところが映画評論という切り口になると、「現実と架空の接点を言葉一つで伝える」といった表現に言い換えられてしまうのですね。


そして「第1次ボイコット」という見方があったことも初耳でした。
ということは、こうして第2次第3次のボイコット運動が繰り返されて行くのでしょうか。


もしかすると私が映画館に行った時にいた老若男女30人ほどの観客の中には、この新聞記事で映画を観に行こうと思った方々もいらっしゃったのかもしれませんね。
そして「ああ、やっぱり途上国の人は・・・」「やはり巨大な企業は・・・」という印象を強めて。


そして、そこから「社会正義への熱情」で胸ぐらをつかまれて、何か行動をしなければならないと思い込む人たちをまた生み出すのでしょうか。



「運動のあれこれ」まとめはこちら


この映画を観て考えて書いた記事のまとめはこちら