母乳のあれこれ 32 <母乳推進の目的は何だったのか。どう変化したのか>

私は研究分野についてはよく知らないのですが、日々、多くの母乳に関する研究が地道に行われているのだろうということは想像できます。


たとえば、<母乳の冷蔵期間>に書いたように、搾った母乳は冷蔵庫で8日間も保存が可能で、その理由は「母乳中の貪食(どんしょく)細胞は活性化されており、微生物を貪食する働きを持っている」ということが明らかになっていることなど、素直に母乳はすごいなと思います。


ただ、今のところ「人間にとって完全母乳が完璧な授乳方法」と断言できるほどの研究結果が出たという話は聞いた事がありません。
メリットもデメリットもあることがだんだんとわかってきました。


また、「人間は人間の母乳が無ければ育たない」ということもありません。
たとえば<初乳について思うこと>で紹介したように、子牛は胎児の時に母親から免疫たんぱく質を受け取れないから「牛は(母牛の)初乳を飲ませないと生きられない」ようです。
ところが人間の場合は子宮内で免疫系が準備されてくるので、世界中で多くのお母さん達がまったく初乳を与える事もなくミルクだけで赤ちゃんが育てられているわけです。


乳児用の調整乳が開発されて、安全なミルクによって極小未熟児でさえもミルクだけで人間は育つ事がすでに実証されたわけですから、「できれば母乳で」という言い方はできても「人間は母乳でなければ育たない」という命題は否定された20世紀ともいえるのかもしれません。


そして社会を見渡しても「あなたは母乳だけで育ったのでしょう?」「あなたはミルクで育ったのでしょう?」なんてわからないし、どのような人に成長するかは単純な環境因子ではないはずなのに、なぜこうした「母乳」に理由を持たせようとする研究がでてきたのでしょうか?


<「単純な原因」と「単純な解決策」>


1970年代に母乳推進の動きが始まった当時のことは、こちらの記事に書きました。


当時、途上国の乳児死亡率の高さに世界の関心が集まり、「第三世界における乳児死亡率の増加は、全世界的な西欧化に伴う粉ミルクの導入によって、母親が授乳しなくなってきたことに起因する」という仮説があり、「この事実に十分な裏付けを与えること」が期待されて以下のような図式ができたとダナ・ラファエル氏が書いています。

乳児栄養の現代的方法(人工栄養)→母乳の喪失→乳児の死亡


でもこの仮説では、ミルクによって乳児の栄養状態が良くなり乳児死亡率が下がった先進国の現状とは矛盾が起きてしまいます。


そこでこの「母乳の喪失」が原因であることを裏付けさせようとしたのが、「粉ミルクを飲ませるときに不潔な哺乳瓶によって感染して乳児死亡率が高くなった」と「哺乳びん病」という言葉が使われ、「危険な粉ミルクを途上国に売りつける」多国籍企業への批判となりネスレボイコットが起きたのでした。


そのあたりは「乳児用ミルクのあれこれ」の目次からどうぞ。


不潔な哺乳瓶による感染が原因であれば、粉ミルクメーカー批判ではなく清潔な水の確保や哺乳瓶の消毒のキャンペーンが答えになるはずですが、一気に粉ミルク批判へと社会が動いてしまったのではないかと思います。


そして、本当に不潔な粉ミルクで乳児死亡率が高かったのかという「事実の裏付け」さえもないまま、「途上国の乳児死亡率を減らす」という当初の目的を見失った母乳推進へと向かってしまった。


仮説がまちがっているのですから、当然、矛盾が出始めます。
でも「母乳は素晴らしい」とキャンペーンを打ち出したWHO/UNICEFや母乳推進団体などが、後付けで母乳推進の理由を探している。
それが「母乳で育った赤ちゃんは賢い」のような研究になっていく。


そんな印象が2000年代後半からより強くなったように感じています。
そのあたりを次回書いてみようと思います。




「母乳のあれこれ」まとめはこちら