散歩をする 60 <妙正寺川を歩く>

目黒川へと処理水を供給している落合水再生センターを見に行った時、初めて妙正寺川が私の意識にのぼりました。
それまで都内の地図をそれこそ穴があるほど眺めて、その川の名前も目にしていたと思うのですが、実際に近くまで訪れて初めてその存在感が大きくなった感じです。


それ以降、地図で妙正寺川付近を眺めては、いつかこの川を歩いてみようと楽しみにしていました。


Wikipedia説明を読むと9.7kmとあり、1回で歩けそうな距離ですが、初めての道はふらふらと寄り道をする時間も必要です。そして、「行ってみよう」と思い立ったのが真冬の1月初旬でしたので、2回に分けて歩くことにしました。


妙正寺池から野方あたりまで>


妙正寺川妙正寺池から始まっているのですが、ちょうど中央線と西武線の真ん中の住宅地です。
どこからその公園に行こうか迷ったのですが、以前から気になっていた大田黒公園からスタートすることにしました。


ずっと前にその近くを通ったことがあるのですが、荻窪の住宅街にポツンと森が残っていて、しかもたしかそのあたりに坂道が多かったような記憶があります。
30年ぐらい前の荻窪といえば、文化人が多く住むお洒落な街のイメージでした。環八からすぐのその辺りになぜ森が残っているのか、当時はわからないままだったのですが、ネットのおかげで公園だということがわかりました。
しかも、その中には池があることで、是非この目で見たいと思っていました。
荻窪というと平地のイメージでしたが、この大田黒公園は善福寺川へと下り坂になる高台にあるようでした。中には大きな池があり、現在の地図ではもうわからないのですがおそらくその水は善福寺川へと流れ込んでいたのではないかと想像しました。


大田黒公園から荻窪駅まではまた少し下り坂になります。このあたりの、「窪」という地名の理由なのでしょうか。


荻窪から妙正寺公園までは、予想以上の下り坂がありました。「この先には川がある」とわかるような河岸段丘を歩いていることがわかりました。
公園内に大きな池があり、現在は人工的に揚水されているとのことですが、池の西側は池よりも2〜3mぐらい高台になっています。おそらく、昔は河岸段丘から豊かに湧き水があった貴重な場所だったのでしょう。
そして、今まであちこち湧水のそばを歩いた時と同じ、水のそばには必ず寺社があります。


ここから始まる妙正寺川の両側は、場所によっては川から数mぐらいの高さがありました。
川のわずかな平地を利用して、以前はこのあたりにも水田があったようです。


1月だったので花が少ない季節でしたが、遊歩道には水仙などが植えられて、ゆったりと歩ける道が続いていました。


野方の手前ぐらいでその日は阿佐ヶ谷方面へと向かい、以前からやはり気になっていた馬橋公園に立寄りました。地図では「池」があるので、見てみたいと思ったのです。
ただ、地図では青い場所があっても実際には水が止められていることもしばしばあるので、期待しずぎないようにしようと思いました。場所からみても、妙正寺川よりだいぶ高い場所にあります。


ところが大きな池があり、水路もあって水音が絶え間なく聞こえていました。
散歩のあとで気象庁の研究所のあった場所だと知りましたが、マンションなどの建設用地に売却しないでくれて本当に有り難いと思いました。


<野方あたりから哲学堂公園、中井まで>


妙正寺池から鷺ノ宮あたりまで大きな蛇行がありますが、下流になると頻繁に大きな蛇行を繰り返しながら神田川へと合流します。


その残りの半分の妙正寺川のスタートは、高円寺からバスで野方駅入り口まで行き歩き始めました。バスに乗っているだけでも、「この先に川がある」ことを予感させる坂道があります。きっとタモリさんの番組がなかったら、今も気にしなかったことでしょうね。


さて、前半部分の杉並区の遊歩道と趣きが異なり、中野区に入ると妙正寺川の両側は車道になっていたり、住宅がすぐそばまで迫って来ています。川の中もゴミが増えて、自治体による境界線が明瞭でした。


ただ、平和の森公園あたりから江古田川合流地点、そして哲学堂公園以降は、遊歩道だけでなく公園や洪水調整池などが整備されていました。


このあたりから、中井や下落合まで両側が数mから10mぐらいの高低差がありそうな河岸段丘があることが実際に歩いてみてわかりました。
地図の蛇行の理由はその地形にあるのですね。


Wikipedia妙正寺川の「歴史」に、「2005年には首都圏を襲った局地的な大雨により、周辺地域で浸水等の被害が発生した」とあり、東京都建設局の「妙正寺川・善福寺川 河川激甚災害対策と区別緊急事業」が公開されています。


おぼろげな記憶では、ゲリラ豪雨という言葉が広がり始めて、それまでは水害とはほとんど無縁と思っていた都内に新たな災害が認識され始めた頃でした。
自治体のハザードマップが作られて、配布されるようになりました。


私が1月に散歩したあたりは、この「河川の拡幅や川底の掘り下げなどにより、流下能力の向上を図るほか、両河川から環七地下貯水池への取水施設などの整備を5か年で集中的に実施することに、再度の水害防止を図っていく」工事が行われた場所だったのですね。


哲学堂公園では、豊かな湧水があちこちあって驚かされました。
妙正寺川周辺は、おそらくそうしたたくさんの湧水があって豊富な水が急峻な地形の合間を下流へと流れ込んでいく暴れ川だったのかもしれません。


どんな歴史があったのだろうと、興味が深まった散歩でした。



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