散歩をする 310 府中本町から府中市郷土の森公園へ

まだ書き終わっていない6月初旬の、絶対に都県境を越えない散歩の続きです。

 

武蔵野台から是政までの立川崖線の水の豊かさを見たら、散歩の計画ノートに書いたままになっていた府中の森公園あたりを歩きたくなりました。

多摩川沿いに広い公園があり、地図では西側に水路と池が描かれています。その水路は府中用水の分水路なのか、それともこの辺りが谷津の地形で湧水なのか見てみたくなりました。公園内には府中郷土の森博物館もあります。今回は、時間に余裕を持って園内を散策しようと出かけました。

 

府中本町駅から府中の森公園へ*

 

JR武蔵野線府中本町駅で下車しました。今まで乗り換えで降りたことはありますが、駅の東側が小高い場所であることに初めて気づきました。駅入り口も高い場所にあって、府中の平らな土地というイメージとは全く違っていました。

 

線路沿いに歩くと矢崎町防災公園という大きな公園があり、災害時の飲料水・防火用水のための耐震貯水槽がその下にあることが書かれていました。

そこから少し下がって、中央自動車道を越えると、サントリーのビール工場がありました。

新型コロナの時代でなかったら工場見学や試飲で自由に入れたのではないかと思うと、ほんと残念。でも飲んだら、ここで散歩はやめようと思ってしまったかもしれませんね。

 

ビール工場の東側の道路は歩道より一段下にあり、歩道はおそらく用水路を暗渠にしたものだろうと見当をつけながら歩きました。

御茶屋街道」の説明標がありました。

御茶屋街道(おちゃやかいどう)は、このみちが府中御殿(本町)の茶の湯の水を多摩川より運ぶ道だったことに由来します。府中御殿は正保三年(一六四六)の大火で焼失しています。

崖線からの美味しい湧水がありそうなのに、多摩川の水を運んでいた時代があったのですね。

 

反対側には、以前は水田だっただろうと思う場所に畑が ありました。正面は多摩川の堤防です。その少し手前を右に曲がると、府中市郷土の森公園があります。

 

府中市郷土の森公園と博物館*

 

総合体育館の前を歩くと大きな池があり、蓮が大きな葉を広げ、蕾が数本見えました。

花蓮の花容(開花する様子)」という大きな説明板がありました。

「花容」という専門用語があるのですね。

昨年は2回目の緊急事態宣言の影響で、潟町駅前の花の終わった蓮の池 を見たぐらいでしたから、今年はぜひ蓮を見に行きたいものです。

 

道路をはさんで、府中市郷土の森博物館の敷地が広がっています。

鬱蒼とした森の中に、保存された建物や町並み、そして小さな水の流れを中心に植物園のような場所がありました。

水路は湧水ではなく、汲み上げた水を流しているようです。

 

*用水路をたどる*

 

博物館の敷地を出て、北側の道を森に沿って歩き、地図で描かれている水路を目指しました。

特別養護老人ホームの前の道は暗渠の上が遊歩道になっているようです。北西から流れてくる用水路は水量が多いもので、住宅とまだまだ残っている畑の間を通っていました。

 

用水路と離れたり近づいたりしながら沿って歩きました。小さな分水路が家の前に開渠として残っている場所が、まだ結構ありました。しばらく歩くと「府中南町二号水源」の施設がありました。

 

下河原通りと用水路が交差するあたりでは、ヘラ鮒釣センターがありました。

この辺りは、沼や池か水田だったのでしょう。 

南部小学校の近くに公園があり、そこにも北西からの用水路が流れているようです。

「新田川緑道」とありました。「しんでん」でしょうか「にった」でしょうか、おそらく「しんでん」ですね。

この緑道が、先ほどの府中市郷土の森公園のあたりまで続いているようです。

周囲の家の雰囲気から、おそらくこの30年40年で徐々に宅地化されたのだろうと想像しました。

 

ここから京王線中川原駅を目指したのですが、航空写真で溜池のように見える場所があり、そこを目指しました。

農地や蛇行した水路があった場所に住宅が立ち並んでいるためか、行き止まりの場所も多く、GPSをつけて道に迷いながら着いた場所は公園でした。

おそらく、ここも以前は沼だったのだろうと想像しました。

 

府中本町のあたりは、1960年代から70年代初めの頃の、府中街道沿いにキャベツ畑が広がる、刑務所だけの場所の記憶しかないのですが、いつの間にこんな賑やかな川沿いの街になったのでしょう。

ちょっと浦島太郎の気分になりながら、帰路につきました。

 

 

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