多摩川の二子玉川付近に注ぎ込む野川を歩いたので、もう一つその河口の手前で合流する仙川も歩いてみようと思っていました。
日記を読み返すと、なんと年末の12月30日に散歩をしています。
いったい、私は何をしているのやら。
ということで、今回もまだ記録し切れていない冬場の散歩の忘備録です。
仙川という駅名があることは10代の頃から知っていたのですが、初めてその場所を訪れたのは1990年代前半で、知人の家を訪ねた時でした。
事前に地図をみると、白百合女子大とか桐朋学園大学といった大学がまず目に入りました。当時はまだ、川にはそれほど関心がなかったので、仙川という川の近くにある街くらいのイメージでした。
地名と駅名は「せんがわ」なので、私もずっと川のほうも「せんがわ」と呼んでいましたが、今回、散歩するにあたって「せんかわ」であることを初めて知った次第です。
仙川のどこからどこまでを歩き始めようかと、地図を拡大しながら眺めていると、なんと三鷹のあたりで、川が直角に何度も曲がっている箇所があります。
仙川も上流から下流まで緩やかに蛇行を繰り返しながら流れていく川だと、ずっと思い込んでいました。
Wikipediaの説明では上流側が「人工河川部」で、「現在の上流部は人工的に作られたもので、狭い幅・浅い深さ・枯れ川に等しい水量・曲がり角が蛇行でなく直角である」と書かれています。
そして、「下流部(天然河川部)」が「三鷹市をしばらく行くと野川宿橋の所から川幅が広がり、流れも自然な蛇行となる」とあります。
ああ、是非この直角に曲がる水路を見たいと、今回は三鷹からスタートすることが決まりました。
<新川から歩き始める>
吉祥寺からバスに乗り、直角の水路近くで下車しました。
地図では青く色がついていたので、「水が直角に曲がる用水路」を勝手に想像してワクワクして近づいてみると、そこはただのコンクリート張りの水路が残っているだけでした。
よくよくWikipediaを読み返すと、上流部分についてこんな説明があります。
いずれにせよ、現在は仙川の源流は消滅している。コンクリート三面張りの改修が施された流路の大半も、すでに20年以上にわたって常時水のない状態が続いており、半ば郷土の遺跡と化している(それ以前の水があった時代でも、流れているのはおもに生活排水であった)。
三鷹のあたりも、水が流れていたのは生活排水だったのですね。
どこから水が流れる仙川になるのだろうと不思議に思いながら歩いていると、人見街道を渡ったところの橋の下から、地下水が轟々と沸き上がっていました。
三鷹市をしばらく行くと野川宿橋の所から川幅が広がり、流れも自然な蛇行となる。ここで地下水から汲み上げた水を放流する。ここが21世紀現在確立された最初の水源である(正確には地下水汲み上げ場所である新川天神山青少年広場付近にある樋口取水場)。
仙川は突如として始まっていたのでした。
ところで、このあたりの地名が「新川」であることは以前から知っていたのですが、中央区の新川や江戸川区の新川のように、人工的に作られた河川の意味でこのあたりが新川と呼ばれるのだろうと思っていたのですが、地名の由来は「野川村と仙川村が合併した際の村名」とありました。
地図で時々見かける「新川」という地名ですが、昔の人にとってはどういうイメージで使われていたのでしょうか。
枯れ水路から一転し、水の流れている仙川には遊歩道が作られているのでずっと歩くと、私には世田谷というのは平坦な土地のイメージだったことが、まったく違っていました。
仙川の両岸は、時に小高い丘になったり、平地になったり姿を変えながら下流へと続いています。
この日は成城学園まで仙川沿いに歩き、年の瀬でガラガラだった小田急線に乗って帰路に着いたのでした。
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