行間を読む 72 <自然は「真や善の『拠り所』」>

Y-Sanaさんからいただいたこちらのコメントの、「『母乳哺育の歴史』あたりで検索して昭和の戦前戦後あたりを読めばいいのに」を読みながら、そういえば最近はそのキーワードで検索していなかったと思い、私も検索してみました。


ブログを始めた頃は、私もそのキーワードでたどり着いた論文や他の方のブログなどを読んでいたのですが、「自然なお産」と同じく我田引水的なものを感じ取ることが多い印象でした。
自分が言ってもらいたいことの補強のために、歴史や証言を切り取って使うとでもいうのでしょうか。
「歴史」とか「事実」というのは、難しいですね。


さて、久しぶりに検索して、以前読んだ記憶がないものを見つけました。
「母乳をめぐる自然概念の歴史的変遷」(梶谷真司氏、日本医学史学雑誌 第56巻第3号(2010))です。
この著者のお名前は、「母乳の自然主義とその歴史的変遷」という公開されている論文で以前でだいぶ前に知りました。
論文を読みこなせる能力はないのですが、ざっと読むと母乳についての捉え方の変遷が「中立的な立場」で書かれている印象で、興味深く読みました。


その方の、2010年に行われた日本医史学会3月特別例会の「例会抄録」が公開されていました。
私自身の忘備録のために、全文を書きとどめておこうと思い立ちました。
強調部分は私が印象に残った箇所です。

 「子供は母乳で育てるのが自然である」という主張は、歴史の中で繰り返しなされてきた。しかし、これは決して普遍的な真理を表しているわけではない。そこで何を「自然」と見なすかは時代によって大きく異なる。しかもこの「自然である」という言葉は、単なる形容詞ではなく、物事の正しいあり方を示す規範概念であり、その裏には常に何らかの批判対象がある。この批判されるべきものは、時代や社会によって異なるため、表面的に同じ主張であっても、その意味内実が変わってくる。この発表では、時期を近世(江戸)と、近代(明治から高度成長期前)、現代(高度成長期以降)に分け、時代ごとに何をどういう理由で批判するために「自然」が、持ち出されたのか、他のどんな種類の乳に対して母乳を与えるのがよいと言われるのかを、医者の書いた育児書を手がかりに考察した。

 まず江戸時代についてであるが、母乳について医師が「自然」をもち出すとき、それは何よりも乳母に対する警戒と結びついていた。そのさい問題であったのは、母親としての愛情や義務ではなく、乳母という卑賤な身分の気血が、乳を通して子どもに影響し、体質のみならず、気質、品性までが劣悪化することへの危惧であった。ここでは、身分差を不用意に侵犯しないことが「自然」なのである。さらに江戸時代には、生まれた子供に初めて与える乳は他人からもらう「乳つけ」という習慣があった。これは。実際的には、出産後乳が出るようになるまでの代理授乳の面もあるが、共同体の群の中で子供が丈夫に育つための願掛けを兼ねていた。また、乳母の場合とは異なり、同質な集団への帰属(親族や生活レベルの似た人)という意味合いもあった。しかしこれについても、医師は批判的だった。その背景には、天の理に対する過剰な信頼がある。すなわち、母親が自分の乳で子を育てるのが天の計らい、自然の摂理である以上、出産後すぐに乳が出ないのもやはり自然の摂理であって、もともと他人の乳など不要であって、子どもがどれほど泣こうと、最初から母親の乳が出るのを待って授乳すればよい、というわけである。ところが、当時は胎毒説により誕生後すぐの授乳は忌避され、また、母親の初乳には毒があるとされていた。それが江戸の終わりごろになって、やはり「自然」の名のもとに、初乳が胎毒下しと位置付けられ、ようやく母親が初めから乳を挙げるのが「自然」なことになった。このように、江戸時代、母乳の「自然」は、血縁や身分差、胎毒説や初乳の毒性、気血思想など、種類の異なる要因がいくつも絡み合い、不調和を抱えたままだった

 近代、すなわち明治時代になると、育児書の母乳に関する考え方は、一気に西洋化する。初期はヨーロッパの育児書の翻訳だったが、やがて日本人の書いたものが出てくる。そこにも乳母による授乳に対する批判は出てくるが、江戸時代のような身分差はさほど問題にならない。それに代わって登場したのは、母乳ー乳母の乳ー牛乳ーコンデンスミルクー粉ミルクという乳の質的序列、さらには、それを大きく二つに分ける「人乳」と「獣乳」というカテゴリーである。そうして人乳による授乳は「自然哺育法」、牛乳その他による授乳が「人為哺乳法」と呼ばれて対比された。つまり、明治期、人間の間の身分差ではなく、動物としての種差を侵犯しないことが「自然」とされたのである。ただし、この時期、不自然な獣乳に対する警戒感は、それほど強くない。人の乳より動物の乳が死亡率や疾病率の点で危険なことは、統計的には明らかだった。しかし、近代日本においては、西洋志向の大きな流れの中で、そうした危険は潜在化せず、母乳の「自然」はただ「よりよいもの」という穏やかな意味で捉えられていた。

 こうした傾向は、戦後の高度成長期まで続いた。戦後の民主化大衆社会の出現により、乳母を雇う習慣がなくなり、人工乳の生産技術が進歩し、規模が拡大すると、牛乳が代用乳として使われなくなった。その結果、母親と粉ミルクの二項対立が前面に出て、生身の肉体が「自然」とされ、科学技術と産業資本主義の生み出す工業製品、およびその背後に広がる巨大で複雑な社会システムと対峙することになった。こうした現代の構図の中で、母乳の「自然」は、自然一般と同様、科学によって強く規定される。そして科学は母乳の価値を高める一方で、代用乳の質も向上させる。また、産業資本主義は、それが作り出す粉ミルクの基盤であるのと同時に、私たちの生存そのものの土台でもあるため、この社会で確保しうる母乳の「自然」も、そこに依拠して初めて成立しうる。このように、現代における母乳の「自然」は、それ自身のうちに幾重にも矛盾と葛藤を孕んでいる。

 どの時代の「自然」も、けっして普遍的なものではなく、その時代の歴史的・社会的条件によって規定されている。ただしそれは、常に変わることなく規範概念、言い換えれば真や善の「拠り所」として機能してきた。だからこそどの時代にも、直面するさまざまな困難や問題を乗り越えるために、私たちは繰り返し「自然」に回帰する。しかし何が「自然」なのかは、はじめから決まってはおらず、社会的・歴史的コンテクストのなかで、直面した問題から反照されてようやく具体化するのである。


「自然なお産」とか、人工的なミルクを否定する母乳推進運動が、善意と正義感に向きやすいのも、このあたり自分の中の「真や善の拠り所」にしたいという気持ちの問題に行き着くつのかもしれませんね。
社会の現象というのは、奥が深いですね。




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