多摩川にでき始めていたあの水門はもう完成したのかなと気になっていたのですが、4月ごろはまだ水が流れている様子はありませんでした。
そばで工事の様子を見てみたいと思いつつ列車で通過したのですが、そのあと向ケ丘遊園を過ぎたあたりで、車窓の外に「五反田神社」という看板を見つけました。
あの水門の上流の五反田川に関係した神社に違いないと、ピンときました。
川崎市のHPの「川崎市における河川」では、「五反田川は、麻生区細山地先に端を発し、細山調整池を経て、大作橋から小田急線に沿って蛇行しながら東北東に流下して、多摩区東生田地先で一級河川二ヶ領本川に合流しています」とあります。
小田急線には子供の頃からよく乗っていたのですが、向ケ丘遊園駅あたりで時々車窓から見えていた川が五反田川であり、あの二ヶ領用水へと流れ込んでいたことがようやく繋がったのでした。
五反田川放水路が必要になった理由も書かれています。
流域の特性としては、樹葉形を呈し、分水嶺は100m前後の丘陵によって囲まれ、水源は浅く、その状態は極めて不良で、流路は迂回曲折して流れ、勾配も急峻であることから、洪水時には溢水氾濫を過去数回起こしています。
登戸あたりはまだ平地ですが、向ケ丘遊園駅あたりから両側を丘陵地帯に挟まれるようなところを小田急線が通っているのは感じていました。
でも、ほんの数分で通過してしまうので、深く考えたこともなかったのでした。
五反田神社と五反田川を見てみよう。
散歩のコースが決まりました。
<生田駅から五反田神社へ>
多摩川を通過する時に、もう放水路が完成してしまっているだろうと思って見たところ、河口部分の工事は終了しているように見えましたが、まだ水は流れていませんでした。
もしかすると、これから放水路の本体(と言うのでしょうか)を完成させるのでしょうか。
向ケ丘遊園駅を過ぎると、左手に草の生えた丘陵地があります。20年ぐらい前でしょうか、そこには登戸共済病院があったと記憶しています。当時、ずいぶんと急な坂道を登らなければいけない病院だと眺めていたのですが、更地になって久しく、元の丘陵の形がはっきりとわかるようになりました。
そのあたりから、両側を丘陵地帯に挟まれながら小田急線が通っています。
五反田神社がある生田駅で降りてみました。
車窓からでも空を見上げる角度で神社の看板が見えたのですが、線路沿いに五反田川が流れ、そのすぐそばから急な階段を登った小高い場所にその神社があります。
地図で見ると、住宅地にポツンと神社があるように見えるのですが、まるで要塞を登って行くような感じです。
散歩と水泳で鍛えているはずの私も足が攣りそうになり、心臓がぎゅーんと痛くなるような階段を登ると、爽やかな風が吹き抜けるところに出ます。
そこが五反田神社の入り口です。
そう書くとまるでパワースポットのように人里離れた神社のようですが、その急な坂道の途中にも家が立ち並び、坂の上が住宅地として広がっています。
五反田神社からは、五反田川の対岸側の丘陵も手が届くような近さで見えます。
そこにも住宅がびっしりと建っています。
ここで生活していたら、足腰が鍛えられそうですね。
神社内の立て看板を読むと、明治に入って作られた神社であるようなことが書かれていました。
そして、小田急線が開通した1927年(昭和2年)頃から、このあたりが発展したことで地域の中心的な神社になっていったようです。
五反田神社から再び急な坂道を降りて、五反田川沿いに歩き始めました。
小田急線の車窓から見えていた崖と崖を利用して建設されていた住宅が、五反田川と関係がある地形であることがわかります。
読売ランド前駅の近くに水源があるようですが、地図で見るよりも地形が複雑すぎて道を見失いました。
五反田川も急峻な流れのせいか、深いコンクリートの護岸で遊歩道もない場所が多いため、川の流れを追うことができません。
でもこれが放水路を必要とする五反田川の地形なのだと、歩いてみて実感しました。
そして、半世紀ほど前から利用していた小田急線のこの辺りの地形が、五反田川によってできていることを初めて理解した散歩でした。
それにしても、「五反田」と聞くと山手線の五反田駅がまず思い浮かぶのですが、この辺りの方達にはこの五反田川の方が馴染み深いのかもしれませんね。
これも、洪水によって袂をわかつ多摩川流域の歴史の一つなのでしょうか。
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