撮り溜めしていた「相棒」を観ていたら、殺人現場に見覚えがありました。
「多摩川の五本松だ」とわかりました。というのも、最近、そこを散歩したからです。
多摩川の岸辺には、地図で見ると池でしょうか、水色の部分が点在しています。
午後から少し時間があった日に、かねてから気になっていた場所に行ってみようと思い立ちました。
小田急線はよく利用するのですが、和泉多摩川駅で降りるのは初めてです。
行く前に地図を見ていたら「多摩川決壊の碑」を見つけました。1974年9月に多摩川水害があったそうです。
1974年というと私は中学生の頃でしたが、なぜか、多摩川の堤防が決壊したというニュースもその映像も全く記憶にないのです。
駅から歩いて数分で、ちょうど反対側に二ヶ領用水の取水口が見える場所にあるようです。昨年、その対岸を歩いているのですぐに見つけられると思ったのですが、ぐるぐると歩いても、地図に描かれた場所にはそれらしきものがありません。
地図では堤防に沿った住宅街の一角に示されているのですが、もしやとおもい、堤防を越えて河原に行って見たらそこにありました。地図も間違うことがあるのですね。
ちょうど、目の前に宿河原堰があります。流路変更させるために爆破されたものに代わって、新たに造られたものだということがわかりました。
そのまま河原沿いに歩いて、小田急線の線路の下をくぐると、真正面にあの五反田川放水路の工事現場が見えます。1年ほど前には水門までできていたので、すでに完成しただろうと思っていたら、まだ工事中でした。案外時間が必要なのですね。
一旦、堤防の上に出て世田谷通りを渡ると、そこに「初代多摩川水道橋の碑」がありました。
道路と水道が供用する橋として、多摩川のこの地に昭和28年12月完成しました。以来、相模川の水を川崎市長沢の浄水場を経て都内に供給するための水道橋として、また東京都(狛江市)と川崎市(多摩区登戸)を結ぶ「登戸の渡し」に替わる道路橋として重要な役割をになってきました。
歩いていても気づかずに通り過ぎそうな碑でしたが、なんとすごい歴史が刻まれていることでしょうか。
さて、そこから堤防の上を歩くとじきに河原に松が植わっている場所があります。
それが冒頭の「五本松」です。
さて、今日の目的地は、その目の前にある西河原公園でした。園内に池がありました。そばを走る道路は公園より一段高いところにありますからおそらく河岸段丘か谷戸で、自然に水が湧き出ていた場所を公園にしたのではないかと想像しました。そして、そのそばに「水神社」があるようなので、行って見ました。小さな祠があるだけでしたが、近所の方でしょうか、手入れされている様子が伺えました。
六郷さくら通りと名付けられているその通りをしばらく歩くと、兜塚古墳があります。しばらく歩くと、むいから民家園があり、地図には描かれていないのですが園内に湧き水を利用した流れがあります。多摩川の側で、昔から水が豊かにあったのかもしれません。
むいから民家園から、じきに狛江駅方面へと細い道に別れます。
そこには、おそらく昭和30年代40年代ぐらいまではこの辺りが農地で、その地主さんだったのではないかと思われる大きな家と庭があり、鬱蒼とした林があります。
古いお寺があり、その前に池がありました。「泉龍寺弁財天池」だそうです。
高架化された小田急線の駅舎でちょうどそのあたりが車窓からも見えないので、まさかこんな林が駅のそばにあるとは思いもよりませんでした。
ここも、住民の方々の保存運動があったようです。
あとで気づきました、「六郷さくら通り」というのは六郷用水のうえを歩いていたのでした。
1時間ほどの散歩でしたが、ちょっとした歴史の痕跡を見つけるのがうまくなったかなと、満足したのでした。
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