佐布里緑と花のふれあい公園からバスで名鉄線朝倉駅まで向かう予定ですが、少し時間があったので佐布里池からの流出水路を見てみようと思いました。
公園の前から下り坂になり、その先に水路があります。
その先はまた上り坂で、切り通しのような場所に道が続いています。地図で確認すると「知多満作道」とありました。
佐布里池の堰堤から見えた浄水場は、この切り通しの小高い場所の向こうにあるようで、ここからは見えません。複雑な地形です。
堰堤からのまっすぐな水路は、「信濃川」と表示がありました。そばには「七反田」という地名があります。もしかすると、このあたりの丘陵に沿って、信濃川という小さな川が流れていたのかもしれませんね。
航空写真で見ると、この一帯にはあの三浦半島のように田畑がパッチワークのように広がっています。
日本のあちこちで見かける「昔からの農村」と思っていた丘陵のこういう風景は、案外、用水路が整備されたここ半世紀から一世紀ぐらいの風景なのかもしれない、そんなことを思いながらバスに乗りました。
バスはまた上ったり下ったりぐるぐると住宅街をまわり、朝倉駅に到着。
ここから今夜の宿泊地である常滑駅にむかいました。途中の車窓の風景は、工業地帯です。常滑駅についた時には、土砂降りになっていました。
本当は、焼物の散歩道を歩いてみようと思っていましたが、早々にホテルへと向かいました。
*バスと名鉄線で半島の先端をまわる*
翌朝、4時半に目が覚めると、ホテルの窓を叩きつけるような雨の音です。
水不足の地域だったことが嘘のような雨ですが、低気圧なので次第に雨脚がおさまり、バスに乗る頃には空も明るくなってきました。
いよいよ、知多半島の先端を訪ねます。
明るい海という印象が知多半島にあるのはどこからきたのだろうと、ずっと記憶をたどってみているのですが思い出せません。おそらく80年代に入って旅行や観光が日常的になり始めた頃に、若い女性向けの旅行雑誌で見たのではないかと思います。
知多半島をしげしげと地図で眺めるようになって、思い描いていたような「ぐるりと半島を回る」手段はないことがわかりました。
蟹の右手のような知多半島は、蟹が餌を口に持って行っているかのように途中で少し曲がっています。
よくよく見ると、この部分は鉄道がないのでした。
常滑からは、名鉄知多線上野間駅までこの蟹の手の曲がった部分はバス路線のみです。
むしろ、なぜ鉄道が通らなかったのか見てみたいと、あえて常滑に泊まったのでした。
常滑の市街地を出るとすぐに海沿いの道になりますが、山側が一段高くなって迫っています。ほとんど平地がありません。海のそばを走っているのですが、高い防潮堤が続き、山から流れ込む小さな川の河口には必ず水門がありました。
昨夜からの雨で、茶色の濁流が流れています。
そうこうしていると少し高い場所になり、右手は自然堤防でまた海が見えなくなりました。
「広目」という場所で平地が広がり、また水田地帯になり、上野間駅に到着しました。
名鉄線は少し高い場所を走っているので、海岸沿いの街や水田、海が見えました。
街の中心を流れる川に沿って、「五反田」「浜田」「前田」あるいは「内塩田」といった興味深い地名があります。歩いてみたかったのですが、乗り継ぎ時間に余裕がなくて、そのまま師崎港行きのバスに乗りました。
海岸沿いの道を、しばらく伊勢湾を眺めながらのコミュニティバスの旅です。
ところどころ砂浜があり、ホテルや旅館がありました。あんがい宿泊している人がいるようです。
海岸沿いからまた山の方へと小さな川沿いにバスが入ると、そこには水田があり、お寺や神社がある落ち着いた街が忽然と現れるのでした。
死ぬまでに真水を飲みたいという希望がかなったのは、木曽川や長良川からの水をどうやって目の前の島に送水する技術によるものなのでしょう。またわからないことが増えました。
師崎港からまたバスに乗って、今度は知多湾側の風景です。
小さな漁港をいくつか過ぎ、山田という場所では海岸沿いに水田地帯がありました。
この水も愛知用水から来ているのだろうかと、考えているそばから風景は変化し、対岸には工業地帯や発電所が見え、こちら側にも工場がぼちぼちと見え、名鉄河和駅に着きました。
ここから名鉄河和線の名古屋行きの特急に乗りました。知多半島の東側の工業地帯が続いたあと、また半島内部へと列車が進み、前日に下車した南加木屋駅を通過し、ほぼ知多半島一周の散歩が終わりました。
Wikipediaの用水がもたらしたものが、車窓の風景に重なりました。
愛知用水はため池に頼っていた尾張丘陵部、知多半島の農業生産や井戸に頼っていた住民の日常生活を著しく向上させた。海水交じりの井戸水に生活用水を頼っていた知多半島南部及び、日間賀島・篠島・佐久島の住民からは特に感謝されたという。地域住民の生活は著しく向上し、観光などの産業の発展にもこの用水の水は貢献した。この用水が供給する工業用水によって東海製鉄所(東海市、現・日本製鐵名古屋製鉄所)の立地が可能となった。知多半島の大府市・東海市の上水道では現在も愛知用水の水が使われているが、大府市・東海市以南のエリアでは平成10年に完成した長良川導水路(長良川河口堰からの導水)からの水も知多浄水場を経由し使用している。
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