太田川放水路が三大放水路と呼ばれていたと書かれていた文献はどれだったのか、残念ながら見つけられずにいます。
荒川放水路のヨシ再生で引用した「荒川放水路変遷誌」の、「コラム 明治以降の放水路」に以下の放水路が挙げられていました。
新淀川 明治30〜43年
豊川放水路 昭和13〜昭和40年
関屋分水路 昭和39〜昭和47年
なんと、この中でまだ行ったことがないのは新淀川と新雄物川だけです。
地図で見つけた気になる水色の部分を訪ねているうちに、いつの間にかあちこちの放水路を歩いていました。
そうそう、工事中だった五反田放水路も完成していました。
放水路といっても年代や地域によってさまざまな構造や目的があるようですね。
次は、どのような放水路の歴史と出会うでしょうか。
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