散歩をする   94 < 印旛沼>

印旛沼手賀沼、牛久沼あるいは谷中湖といった大きな湖沼が関東平野にはあり、その場所がだいたいどこにあるのかはしょっちゅう地図を見ていたのでわかっていたのですが、それが利根川流域であることがつながって見えて来たのがここ2〜3年です。


そして利根川だけでなく、東京湾ともつながっていた。
印旛沼の「歴史」に、その理由が書かれています

江戸時代に入って、江戸の町を利根川の氾濫による水害から守るため行われて来た利根川東遷事業によって利根川下流となり、周辺の村々は水害により大きな被害を受けるようになった。このため沼の水を現在の東京湾へ流すという掘割工事と、あわせて当時人口が激増していた江戸の町の食料事情もあって干拓事業(新田開発)が行われた。享保9年(1724年)、平戸村(現在の八千代市平戸)の染谷源右衛門が着手したが失敗。次に、天明年間(1781〜1789年)老中田沼意次の時に計画され、工程の3分の2まで進捗したが天明6年(1786年)7月の大洪水と、田沼の失脚により中断された。


その後、明治に入って利根川放水路が計画されながらも、今もなお「完成」というわけではないようです。
あちら立てればこちら立たずというにはあまりに軽い表現だと思うほど、たくさんの川が流れ込んでいる昔海だった関東平野治水の大変さをまたひとつ知りました。



<散歩のコースを決める>


印旛沼にも行ってみたいと思っていたのですが、なぜか「行くには遠い場所」と思い込んでいました。
先日、谷津干潟に行ったあと、つらつらと地図を眺めていたら、あの京成線に乗って行けば結構近いことに気づきました。


たしかに、地図を拡大して行くと、印旛沼の"W"の左先端から細い川が蛇行して東京湾へと注いでいます。
辿って行くと、「検見川駅」のすぐ近くに河口があります。ああ、あの千葉へ向かう途中にある駅は川の名前からかと思ったのですが、よくよくみると川の名前は「花見川」になっています。
検見川という川はどうも存在しないようで、散歩の準備の段階で少し混乱しながら地図を眺めていると、京成線大和田駅勝田台駅の間に「大和田機場」という水門があるようです。


水門のあたりから印旛沼に向けては比較的まっすぐな「新川」という表示があります。
その川をたどって行けば印旛沼にいけるのですが、ちょっと遠回りになります。もう少し京成線に沿って見ていくと、京成臼井駅から佐倉駅のあたりで、印旛沼にぐっと近づいて行き、地図には「新田」という地名がついた場所がたくさんあります。
もうこれだけで祖父の田んぼと干拓の歴史と重なり、「新田」をみてみたいと心が踊ったのでした。


佐倉駅からスタートし国立歴史民俗博物館を見て、そのあと印旛沼のほとりを歩き、一旦、京成線で大和田駅に戻り、大和田機場を見る。
もし時間があれば、途中に不思議な形をした山万ユーカリが丘線に乗ってみたい。
おそらく、昔、その辺りが海だった頃の地形がわかるのではないかと、まだ見ぬ土地の風景を想像しました。


<車窓から見えるのは、どこか懐かしい風景>


前回見逃した海神の地形を確認しようと、京成八幡駅から乗りました。今は埋立地があるので少し内陸部に入っているのですが、おそらく昔海だった地形がわかるだろうと、左右の車窓をあちこち眺める怪しい行動を取りながら通過しましたが、住宅がぎっしり建っているのでよくわかりませんでした。やはり、実際に歩いてみないと細部は見えないものですね。
京成臼井まではひとつひとつの地名の由来を歩いて確認したいほど、想像以上に小高い場所や平地が織りなす複雑な地形でした。


臼井駅を越えてしばらくすると、左手に印旛沼が見え始めます。地図でみると、鉄道から印旛沼までは徒歩だと10分ぐらいの距離がありそうで、車窓からは見えないだろうと思っていました。
印旛沼と京成線の間はほとんどが水田なので、視界を遮るものがなかったのでした。


予想よりはこじんまりとした沼で、対岸の山がすぐ近くに見えます。
内陸部の沼なのですが、どこか懐かしい風景に感じました。
そう、あの祖父の干拓地と似ているのです。
倉敷は海のそばでしたが、昔、島だったところが水田の間にポツンポツンと丘になって残っています。
あの風景に似ているのです。


佐倉駅に降りて、まず向かったのが国立歴史民俗博物館です。かなり急な坂道を登ったところにあります。
印旛沼干拓について詳しい展示はなかったのですが、売店の書籍・資料が充実していて、散歩のスタートだというのに重い本を買ってしまいました。
博物館から印旛沼への道は、印旛沼に流れ込む川沿いと成田街道沿いの選択がありますが、成田街道を選んでみました。
これがまた上り坂で、昔島だったのだろうという場所です。江原台のあたりにくると、まさに島の上の台地であったことがわかります。
そこから急な下り坂を降りて、目の前に広がる新田の中を通って印旛沼のほとりにある「佐倉ふるさと広場」に到着。
行きは印旛沼の方向ばかりを見ていたので気づかなかったのですが、京成線はその台地の断崖に沿って走っていることがわかりました。


干拓地だから高低差は少ないだろう」とたかをくくって欲張った計画にしたのですが、博物館の売店で時間を費やし、アップダウンの道は距離以上に大変だったので、ユーカリが丘も大和田機場も今回は断念。
ほんと、行き当たりばったりなので仕方ないですね。


ただ、帰路に乗った東葉高速線が大和田機場のそばを通ったので、見ることができました。



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