水のあれこれ 285 沼になった将監川、印旛沼干拓と長門川

布鎌惣社水神社を訪ねた時に渡った川ですが、標識に書かれていた名前を「将藍川」と見間違えて覚えていました。

散歩の記録を書くのにWikipediaで確認したところ、正しくは「将監川(しょうげんがわ)」でした。

 

Wikipediaの長門川を読んで、その将監川の流れが穏やかに見えた理由がわかりました。

将監川(しょうげんがわ)は、千葉県印西市印旛郡栄町の境に位置する利根川の旧派川である。かつては「枝利根川」とも呼ばれた。栄町西付近にて利根川より分派し、栄町和田の長門下流にて長門川に合流する河川であった。1912年(大正元年)に洪水対策の一環として、利根川の第二期改修工事において将監川締め切り工事が行われ、以降は長門川のみ接続している。現在は名称上「川」として親しまれているのもの、利根川水系の指定河川には含まれておらずさながら「湖沼」として扱われている。一例として、栄町にある将監川の流路に沿った林歩道にも「湖沼緑地」という名称が付せられている。

(強調は引用者による)

 

一世紀以上前に沼のような状態になっていたようです。

 

 

印旛沼干拓長門川*

 

締め切り工事前の枝利根川と呼ばれていた頃は、利根川から分かれて長門川へ合流してまた利根川へと流れていたようで、西地区は枝利根川利根川に挟まれた場所で中洲か島のような場所だったのでしょうか、堤防守護の水神社を必要としたことにつながりました。

 

その合流する長門川の「上流」に印旛沼があります。

 

W字のような印旛沼の南側を初めて訪ねたのが2018年に京成佐倉から京成臼井まで印旛沼沿いに歩いた時で、その頃に初めて印旛沼の南側は新川で東京湾につながり、北側は利根川につながっていることを知りました。

 

印旛沼干拓地の風景に背中を押されて3週間後に倉敷の干拓地を訪ね、以来あちこちの干拓地を訪ねています。

2018年の年末には利根川河口を訪ねた帰り成田線で安食を通過した時に夕日に輝く印旛沼周辺の干拓地を見ることができました。

 

北は利根川につながり、南は東京湾につながる印旛沼干拓地をもっと歩いてみたいと思いながらなかなかルートが決まらないまま日が過ぎていました。

 

ようやく今回その長門川近くを少し歩き、改めてWikipediaの説明を読みながら地図を眺めました。

簡潔にまとめられている説明なのに「印旛沼水系」を理解することが難しいから、どこを歩いたら良いのかわからないままなのだと改めて思いました。

長門川(ながとがわ)は、千葉県印西市印旛郡栄町を流れる利根川水系一級河川利根川と北印旛沼とを連絡する役割を果たす。それゆえ短区間ながら印旛沼水系全体に係る流域を擁し、また印旛沼放水路とともに印旛地域の水量調節に活用される治水上重要な河川である。定義上はいずれも印旛沼を起点とするが、印旛沼放水路(新川)は平常時印旛沼流入するため、事実上印旛沼唯一の流出河川となっている。

 

この行間を読めるようになるのはいつのことでしょうか。

 

 

 

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