地図と測量の科学館で11月13日から12月24日まで「企画展 近代測量の幕開け」があることを知り、いてもたってもいられなくなって出かけました。
いつも行き当たりばったりの散歩なのですが、今年は思いつきで行った場所で水準点に出会い、そこから関心が日本水準原点や験潮所へと広がって実際に見ることができました。
昨年、初めて地図と測量の科学館を訪れた時には、壮大な地図の年表を前にして私の頭の吸収量を超えてしまったところがありました。
もう一度、地図と測量の科学館の展示をみれば、見落としていた何かが見えるかもしれないと思っていたところでの企画展でした。
子どもの頃から地図が好きだった理由に、まるで絵のようだからというのがあったのかもしれません。
線や色で地形が表されていく様子は、ボタニカルアートのようです。
恥ずかしながら成人になっても、風景を観察し人の手と感覚によって緻密に描かれていく、それが地図だと思っていました。
ところが、天文学や測量といった科学とともに地図が発達してきたことが見えてきたのが、東南アジアの辺境の地まで詳細に描かれた地図を見た時でした。
それ以来、どうやって地図が作られるのか気になっていたのですが、20数年来の私の課題のひとつのままになっていました。
<三角測量法>
今回の企画展の概要に、以下のように書かれています。
近代測量は、明治12年(1879)に全国測量・全国地図作成の基礎計画が打ち出され測量の基準となる一等三角点、一等水準点を設置する基準点測量が実施されることから始まりました。
「地図の年表」に、「1872年 日本初の三角測量」とあります。自分でこれをブログに記録しておきながら、すっぽりと意識から抜けていました。
前回も、三角測量法についての常設展示を見ているはずなのですが、数字が苦手な私は読み飛ばしていたのでした。
「三角点の測量」について国土地理院のホームページに説明があります。
明治時代に距離を測る方法は巻尺しかありませんでした。3km〜10km離れた平坦な場所にある2点間の距離を正確に測り、もう一点を加えて三角形を作り、三角形の内角を測ります。この1辺と内角から三角形の大きさと形を計算で求めます、さらに点を増やして三角形の内角を測ります。こうして三角形の網を作り、三角形の各点の位置を求めていくのが三角測量です。
現在では、全国に基準となる三角点が970箇所あるそうです。水準点と違って、山の頂上などに設置されているようですから、これは簡単に散歩で見学するわけにはいかなさそうです。
この三角点の設置には、重い木材や機材を人力で運び、2週間ほどかかる設置工事は野宿をしながら行われたそうです。
明治12年に計画ができて明治16年(1883)には全国の三角測量が行われたようですが、わずか十数年前は江戸時代で、まだほとんどの人が十分な教育を受けたわけでもない時代に、どうやって二等辺三角形の計算をしながら地図が作られていったのか。
これもまた驚異的に変化した時代のひとつかもしれませんね。
勉強になる企画展ですが、相変わらず測量の実際についてはまだまだちんぷんかんぶんです。
ただ、もうひとつ収穫がありました。
あの国会北庭園に日本水準原点がある理由がわかりました。「1891年 東京三宅坂陸軍参謀本部内に水準原点をおく」とありました。
企画展では、当時の皇居周辺の詳細な地図の原本が展示されていましたが、現在の丸の内、霞が関、永田町あたりはほとんど軍の施設だったようです。
一世紀ほどの地図と日本の歴史がまたつながっていき、もっと知りたい見てみたいと思うことが出てきました。