散歩をする 132 武甲山

昨年古代蓮を見てから見沼代用水と武蔵水路を見に行った時に、初めて秩父鉄道に乗りました。

行田駅から武州荒木駅までは利根川沿いの平地をのんびりと走る路線でしたが、路線図をみると「三峰口」が終点で、荒川上流に向かって秩父鉄道が通っているようです。

それを見ただけでも水を見に行きたいと心が踊ったのですが、「三峰口」というのは本格的な登山客がいく場所と勝手にイメージができあがって躊躇していました。

秩父鉄道沿線を地図と航空写真を拡大したり縮小したり何度も眺めているうちに、西武鉄道を使えば案外と近いことがわかりました。

いつかそのあたりまで行ってみたいなと思って、時々地図を眺めていました。

 

今までほとんど行ったことがない秩父に、新緑の季節に行ってみようと決めていました。

ただその時点ではまだ、武甲山のことは頭にありませんでした。地図には山の名前が載っていないので。

 

*山を切り崩す*

地図を拡大しているうちに、西武秩父駅の近くに武甲山資料館を見つけました。

ああ、この近くにあの武甲山があるのかとわかりました。

以前、ブラタモリで石灰を採掘している山として紹介されていました。

テレビの映像では、山が切り崩されて白い岩肌がむき出しになっている場面もありました。

 

母の面会に向かう途中にも、似たような山があります。

そこは石灰ではなく遠目には砂利のようですが、いつ頃からだったのでしょうか。少しずつ切り崩されて、今ではかつての山の半分ほどがなくなっています。

その地域の産業としての必要性と「神聖な山を切り崩す」という私自身の想いのはざまで、いつ通っても心が落ち着かない場所です。

 

ただ今まで、そういう採掘場の状況を知る機会はありませんでした。

この資料館に、私の気持ちに道筋になる何かがあるかもしれない、そう思えたのでした。

 

*目の前の武甲山に圧倒される*

 

飯能から西武秩父鉄道に乗り換えると、じきに列車は緩やかに高度を上げて、何度も川に近づいたり越えたりしながら緑深い山間部へと入って行きます。

この川が高麗川で、下流入間川へ合流し、最終的には荒川へと流れ込む川のようです。

 

西武秩父鉄道は最初はトンネルが少なく、山を開削して線路を作っているようでした。

そのうちに少しずつトンネルが増え、長いトンネルがありました。

これが西武秩父鉄道のこの箇所のようです。

武甲山から産出する石灰岩を原料とするセメントの輸送と沿線の観光目的に建設され、1969年(昭和44年)に開業した。正丸ー芦ケ久保間で正丸峠を超える山岳路線で、同区間に存在する正丸トンネルは、山岳トンネルとして建設当時、日本の私鉄最長であった。

一見、「明治44年」と読み間違えたのですが、昭和44年ですから私が小学生の頃に開通したようです。

 

高麗川の清流を眺めていると、横瀬駅の近くに大きな工場が現れ始めました。

工場に気を取られていたのですが、ふと反対側を見て息を飲みました。

あの武甲山が目の前にありました。

 

山頂に向かって山の半分は、段々に削られています。

いえ、正確にいえば「旧山頂」はすでに削り取られているようです。

1900年(明治33年)の測量では標高は1,336メートルを記録したが、山頂付近も採掘が進められたために三角点が移転させられ、1977年(昭和52年)には標高1,295メートルとされた。元の山頂付近は1980年9月ごろに採掘のために爆破されている。2002年(平成14年)に改めて三角点周辺を調査したところ、三角点より西へ約25m離れた地点で標高1,304mが得られ、国土地理院はこれを武甲山の最高地点と改めた。

Wikipedia武甲山」)

あの三角点がここにもあるのですね。

 

そこからはずっと武甲山を眺めながら、西武秩父駅へ到着したのでした。

 

 

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