「私はこの世にいなかったかも・・・不妊手術を強制した旧保護法の恐怖 現在の少子化につながる国策の失敗」(河合蘭氏、現代ビジネス、2018年12月28日)
偶然、目にした記事でした。
私が助産師になった1980年代終わり頃にはまだ「優生保護法」だった法律が、1996年に母体保護法に変わりました。
当時、なぜ優生思想を想起させる法律があるのか疑問に思いながらも、中絶手術が母体保護法によって行われる時代へと変化したことをほっとしたのでした。
この1〜2年、戦前に遡って旧優生保護法によって不妊手術や中絶を強制された方々が国を訴える裁判がありました。
私自身がそうした時代に直接関わったわけではないけれど、産科で働くからにはその歴史から目をそらしてはいけないと思いつつ、何をどのように考えていったらよいのか、言葉にしようと思ってもなかなか出てこないまま時間が経っています。
その時代の雰囲気が後から考えれば理不尽なことがまかり通っていても、そこにどのような事実があったのかは慎重に、時間をかけて探していかなければならないのではないか。でもその「事実」とは何か、でまた逡巡するのです。
私たちが現在良かれと思って実践している医療の中にも、後世から裁かれるような内容が必ずあります。時代が進めばそれは当然起こりうるものですから。
さて、辺見庸氏の講演録の一部を孫引きですが、再引用します。
これは一九七一年に埴谷雄高が書いた文章ですが、「そこに『事実』があると受け取ってしまえば、 そこはある種の想像力の墓場となる」(「事実と事実についての断片」)というわけです。
埴谷はさらに次のように記しています。「主語が人間である限り、『事実』とはつねに永劫に掘り起こせない過誤を含んだ何物かであるといわねばならない。即ち、事実でないことをつねにそこに保ちもつこと、それが『事実』の保ちもつべき恐ろしい逆説である」。事実というのは必ず人間的な過誤を含んでいる。事実という言葉は悲しいかな"非事実"ということを保ちもつ。それが事実といわれていることの逆説なのだ、と言っています。
著者は、助産師の世界とも深いつながりがある、いえ、むしろ助産師の世界が生み出したともいえる「出産ジャーナリスト」です。
冒頭の記事を読むと、こういう切り口で優生保護法の問題を語るのはどうなのだろうかと、これもまた言葉にならない悶々とするものだけが残りました。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。
この優生保護法に関する記事のまとめをこちらに作っておこうと思います。