記録のあれこれ 26  <優生保護法に関する記事>

ネット上の記事というのは、大手出版社でも忽然と削除されることがあるので、自分の忘備録のために記録に残しておこうと思いました。

現代ビジネス(講談社)、2018年12月28日の記事です。

 

「私はこの世にいなかったかも・・・不妊手術を強制した旧優生保護法の恐怖  現在の少子化につながる国策の失敗」

優生保護法の下で「不妊手術を強制された」人々が、全国で次々に提訴に踏み切っている。12月26日には、聴覚に障害のある小林賢二さん(86)と喜美子子さん(86)夫婦ともう一組の夫婦とが国に訴えた裁判が始まった。しかしこうした問題で表に現れるのは氷山の一角だろう。『出生前診断』にて2015年度の科学ジャーナリスト賞を受賞した出産ジャーナリストの河合蘭さんが、旧優生保護法の「呪い」とも言える影響の続く現代を綴る。

優生保護法は「新兵器」のようなものだった

私はこの訴訟に期待している。「やっと宿題に手をつけてくれた」と思う。

 

優生学が戦後50年間も放置されてきたこの過ちは、生殖を個人の営みとして尊重することが苦手で、集団の都合を優先しがちな日本的制度をよく表している。しかし、犠牲になった障害者の方たちを慰めずして、日本が、出産を個人の幸せの問題と考える国に変わっていくことはできない。

 

私は、この過ちを謝罪することは決して障害がある人の問題に止まらず、ごく一般の人たちの「リプロダクティブ ・ライツ(産む・産まないなどの自由)」にもかかわり、少子化対策にさえ通じると考えている。

 

私が旧優生保護法の問題を調べたのは、新型出生前診断が登場した2015年に『出生前診断』という本を刊行した時だが、初めのうちは信じられないことばかりで、ただ驚いた。この法律が根拠とした優生学』は弱肉強食の時代を背景に未熟な遺伝学、統計学が暴走してできた科学のひとつだった。

 

法の下で優生学を実践してきた国で有名なのはアメリカ、ドイツ、そして北欧。軍国主義とも強く結びついていて、他国が優勢政策を次々に実行しているとなれば、「それをしない国は、新兵器を持っていないような不安にかられる」という面もあった。

 

優生学者たちは、優勢政策を実行すれば、畜産における品種改良のように人類はどんどんと優れた生物へ進化し、科学の力でユートピアを作ることができると本気で考えた。そこで、はじめは天才を増やす方法を探していたが、それが困難とわかると「劣った者」の排除に情熱を傾けるようになる。

 結核患者も子どもを産むなと言われた時代

犠牲になった人たちとしては精神疾患や知的障害、遺伝性疾患、ハンセン病などが有名だが、先日はろうあ者にも多数の犠牲者が出ていることが報じられ、改めて優生政策の恐ろしさを感じさせた。気鋭の写真家でろう者の齋藤陽道氏が、やはり聞こえない妻との間にできた子の子育てを素晴らしい写真と文章でつづった『異なり記念日』(医学書院)が出版された矢先のニュースだった。 

 

実は、日本で初めて優勢政策を進めようとした法案は昭和9年帝国議会第65議会に提出された「民族優生保護法案」である。その法案原文では何と、当時、日本人の死亡原因の首位を占めていた「結核病」も断種の対象とされている。

結核は遺伝性疾患でなく後天的な感染で起きることが良く知られていたにも関わらず「かかりやすい体質がある」「子どもに感染する」といった理由をつけて子どもを産むべきでない疾患のリストに入れられていた。

結核患者を対象にした優生政策は海外にも前例があり、他にも、STD(性感染症)やアルコール依存なども、後天性の病気であるにも関わらず、り患した者は国家のために産むべきでないとされたことがある。

当時の結核の脅威はすさまじいもので、もし、この法案が通過していた際の犠牲の規模を想像するとぞっとする。実は、筆者の父親も、戦時中に結核で療養していた。

 

親に看病される肩身の狭い思いをしていたであろう病身の父が、そんな手術を強制されていたかもしれないと思うとやりきれないし、そもそもそう思っている私自身が、今、ここに存在していなかった。当時、結核は、徴兵検査に合格しない者の一因であり、富国強兵政策の足を強く引っ張る病とも見られていた。

 

民族優生保護法案は議会を通らなかった。結核は、やがて特効薬である抗生物質ストレプトマイシンなども現れターゲットからはずれる。しかし、優生の考え方を引き継ぐ法案の提出はその後も続き、昭和15年、旧優生保護法の前身である「国民優生法」として結実したのだ。

 

現代版の結核とは何かと考えると、それは、高齢化社会に重くのしかかる認知症や糖尿病だろうか。現代では、それらの病気のかかりやすさを調べる遺伝子検査は、ネットでも行われている。そのことを思えば、この強制不妊手術の歴史は、大変身近な問題としての誰の心にも恐怖が迫ってくるはずである。

 気がついたら産めなくなっていた

 強制不妊の訴訟は、また「リプロダクティブヘルス」の権利を奪われたとしていることにも、注目してほしい。リプロダクティブヘルス・ライツは、「子どもを持つか持たないか」、「持つならばいつ何人産むか」を、正しい情報と安全な手段が提供されたうえで本人が選べる権利だ。1997年にカイロ問題人口開発会議で採択され、基本的人権のひとつとして国際的に認められている。

 

優生保護法が優生的な条文を削除し、法律の名前を変えたのも、この採択が外圧として働いたためと考えられる。この権利の啓蒙書として世界人口基金が出している「世界少子化白書」は、2013年に新版になったが、それを見ると、この権利が阻害された場合に女性やカップルがさらされる危険として、ワークライフバランスの問題による不妊にも触れられている。発展途上国での避妊の推進ばかりではない。

 

現代女性たちの高齢妊娠や不妊治療経験談を取材し続けてきた私は、強制手術を受けた方の出産は一度も取材したことがないのに、同じ根を持つ悲しい話をたくさん聞いてきたような気がしてならない。今、報じられている被害者の方たちの声を読んでいくと、よくこのような言葉に出会う。

 

「意味がわからないまま手術を受けた」

「子どもが産めないと知ってとても悲しかった」

「世話になっている人から説得されて抵抗できなかった」

自分がやっていることが妊孕性にどうかかわるのかわからないまま、周りに流されてしまったあとで後悔するーー私には、こう訴える方たちの姿が、高齢で妊娠しようとする人たちの姿にぴったり重なる。

 

「40代で産んでいる人はたくさんいる」と妊娠を先送りしたために子どもを授からなかった人たちも、「妊娠力が衰えるのがこんなに早いとは誰も教えてくれなかった」と言った。もっと若い時に妊娠を考えたが、上司から「妊娠しないように」と釘を刺されたのでできなかった、と言った人もいた。

 「産むことを自分で決める権利」とは

産みたかったけれど妊娠のタイミングを失った人たちは、不妊手術を強制された人たちのように体を傷つけられたわけではないが、命のバトンを次世代に渡せる「時間」を失って不妊になった。結果的に子どもを持ちたくてももてない身体になったということにおいては、同じだ。

 

もともと日本女性は産むことについて控えめで、妊娠について迷う時、周囲への「迷惑」ということを重く考えたり、「私は、お母さんになる資格がないのでは」と言ったりする。若い人に経済力がないためか、妊娠の決心でも、出生診断でも、祖父母の権限は大きい。また「子どもはできないのか」と言うなど、人の妊娠に他人が口を出す場面も多い。

 

こうした風土に加え、戦後の後始末の遅れが、日本のリプロダクティブ ヘルスに影を落としている。例えば高齢出産の増加が止まらない問題については、知識がなくてはリプロダクティブヘルスは実現しないのだから、学校教育は正々堂々と「産むために必要な知識」は教えていくべきだ。

 

しかし、この国では「若いうちに産まないこと産めなくなる可能性が高い」と学校が教えようとすれば「富国強兵時代の要求だ」とマスコミや市民運動にたたかれる。国民には、まだ「けじめ」がつけられていない布告恭平時代の生殖政策が、いつ何時ゾンビになって出産の強制を迫ってくるかわからないという不安があるのではないか。

 

富国強兵政策とは国民の「数」と「質」を、本人の決断ではなく、国の都合で管理することだったが、「質」の面については、これから非常に重要な課題となってくる出生前診断診断の問題がある。このルール作りも国は自ら手をつけることは避けており、日本では学会にお任せになっている。抗議の矛先が、国会議事堂や厚生労働省に向かないようになっているのだ。確かに、過去から逃げているうちは、国のこの問題に取り組めないだろう。

 密室で決められる出生前診断のルール

現在、出生前診断は、高い制度で胎児のダウン症の有無などを調べられる新型出生前検査が一般診療化に向けて動くという重大な局面にある。しかし、そのルールが話し合われている場は日本産婦人科学会の倫理委員会だ。厚生省が組織する委員会とは違って、取材記者の傍聴もできず、委員の名も公表されていないというクローズドな体制で話し合いはすすめられている。

 

一学術団体のガイドラインでは、効力に限界があることも問題だ。結果的に、今の新型出生前診断は無認可検査施設が普及するという状況を招き、コントロール体制は事実上崩壊している。

 

海外では国の議会で話し合われ、法律ができている問題なのに、日本では、産婦人科医たちが矢面に立つしかない。国は謝罪すべきことを謝罪せず、慰めるべき方たちを慰めていないために、これから産むひとたちのためにすべきことができていないのではないか。技術の進歩は待ったなしなのに、過去に縛られて、未来を作ることができないのだ。

 

幸いにして、出産を個人の営みとしてとらえる見方は、若い人たちに広がっているように思う。私が不妊出生前診断 を書くようになったのは10年ぐらい前だが、この間に、日本社会は家族の多様性についてかなり柔軟性を身に着けてきた。

 

今こそ、国は過去をきれいに清算する必要がある。そして国民一人一人が自由に産むこと、産まないこと、いつどのように産んでいくかを決め、それぞれの幸せを選択できるように、現代に必要な生殖政策を取っていくべきだろう。

 

 

 

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