蛇行する道が減っていることに対して、今日は反対に、人為的に道をくねくねさせる話です。
散歩をしていると、ごくごくたまにあえて道を蛇行させているところがあります。スクールゾーンとか、新しくできた住宅街で車を徐行させるためのものです。
あるいは遊歩道でも、自転車を疾走させない目的があるのかもしれません。
初めて「あえて道を蛇行させる」ことを意識したのは、1980年代半ば、東南アジアで生活をしたときでした。
都市部や街の中心部では、道路はまっすぐなのですが、ところどころ左右に障害物を置いて、車が徐行せずにいられない仕組みでした。
ああ、歩行者を守るのにこんな方法があるのかと、目から鱗でした。
ところが市街地を離れると、そうした道の意味が全く異なりました。
検問のための場所になります。
徐行させるだけでなく、一旦停止させ、眼光鋭い兵士が乗り合いバスの中の乗客の顔を一人一人確認していきます。
反政府ゲリラの移動を阻止することと、外国人が村に入ることを警戒しているためでした。
車が徐行し始め、車内のだれかが「チェックポイント」と小声でつぶやくと、車内にぴーんと張り詰めた空気が漂うのでした。
80年代終わり頃か90年代ごろからでしょうか。
欧米の都市の様子が写真で紹介されることが増え、この道を蛇行させる方法も本で見る機会が増えました。
非常時の検問所はないに越したことはないけれど、車や自転車がスピードを落としてくれてゆっくり歩けるために道を蛇行させることはもっと増えてもいいのにと、当時から思っているのですが、くねくねした道はなかなか増えないですね。
それにしても、あえて道を蛇行させる方法はいつごろどこでどんな風に始まったのでしょうか。気になりますねえ。
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