記憶についてのあれこれ 166 天然のスケートリンクとスケート靴

私が5年生まで通った小学校はプールがない代わりに、天然のスケートリンクが近くにあって、冬は毎日のようにスケートをしていました。

小学校の歴史からそんなことを思い出していたら、撮り溜めしていた「小さな旅」の日光の天然のスケートリンクの回を観ました。

 

1958年(昭和33)に手作りのスケートリンクを作り、その息子さんが71歳になってなお、毎日整備をされているとのことでした。

「子どもが安心して滑れるように」と整備していた父の姿を見て、「そういう年寄りになりたいと思った」と話されていました。

水の撒き方にもコツがあり、そして1日に3回水を捲くそうです。

氷の表面を平らにする作業は見たことがありましたが、あの天然のスケートリンクはこんなに手がかかっていたのかと今更ながらに知りました。

 

氷の上で楽しそうに遊んでいる子どもたちの姿は、半世紀以上前の私たちと同じでした。

初めて滑る子どもが、氷の上で椅子に捕まりながら恐る恐る歩いていました。

私は誰に教わったのだろう。

 

子どもたちが履いているのは新品のようなフィギアスケート靴で、私も小学生の頃に白いフィギアスケート靴を買ってもらった日のことを思い出しました。

成長著しい時期ですから、2〜3回は買い替えてもらったのだと思います。

当時いくらぐらいだったのかわかりませんが、公務員の父の給料から考えれば高価な買い物だったのだろうと思います。

 

誰かがあのスケートリンクを毎日整備してくださり、誰かが滑り方を教えてくれ、そして親は節約して子どものためにあのスケート靴を買ってくれたのだ。

亡くなった父にはもう感謝の言葉を伝えられないけれど、母には次の手紙でお礼をもう一度書こうと思いました。

 

 

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