運動のあれこれ 41 鶴見川源流を守る

広場のように開けた場所に鶴見川の源泉があり、その周囲に昔からここで農業を営んでいる方々でしょうか、家と田畑が広がってその周囲を林が囲んでいる風景は、半世紀以上前の子どもの頃に戻ったような気持ちになりました。

 

源泉だから大事に守ってこられたのだろうと思いながら、この地について何か資料がないかと検索してみたところ、環境省の「東京都町田市 鶴見川源流」が公開されていました。

 

 

その中の「導水事業の概要」に、平成元年(1989年)にこの源泉が枯れたことが書かれていました。

 鶴見川の源泉流域は、町田市上小山田地区の300ha規模の山林・田園地帯で、最大水源である。平常時に日量1300トンを湧出する源流の泉(湧水:現「鶴見川源流泉のひろば」の地域)と周辺の谷からの絞り水も併せ、鶴見川の源流を形成していました。平成元年1月、近くを通る川崎市の水道用トンネルの改修工事が原因で源流の泉が枯れる事態に到り、地元の市民団体が魚類の救出を行うとともに、川崎市、町田市に緊急対応を要請するなどの取り組みにより、いずみの保全に成功しました。

 その後、町田市は平成6年湧水の保全・活用及び源流域の紹介等を目的として、市民要望を取り入れ設計した「鶴見川源流泉のひろば(2,000㎡)を開設し、以降市民団体と協働で管理を行なっています。

 

平成元年1月には源泉が枯れ、それを農業用水として利用していた農家の皆さんから苦情が出たとのことですが、この年の田植えは無事にできたのでしょうか。

また用水の枯渇から水生生物の絶滅が危惧され、鶴見川源流自然の会の方々がハヤなどの緊急救出作戦キャンペーンをしたことも記されています。

幸いに、平成2年1月には水道用トンネル改修工事が終了して湧水が復活したそうですが、こんな大変なことも、当時の私は知らずに生活していました。

 

 

このような経緯から「源流の生きものたちの賑わいを支え」という言葉になっていったのでしょうか。

 

 

30年前に湧水が枯れたことがとても信じられないような悠久の世界に見えた風景でしたが、こうした運動があったことを帰宅してから知りました。

 

 

 

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