散歩をする 375 三沢川の水源である黒川の谷戸を歩く

昨年の12月下旬、三沢川と鶴見川の支流の分水嶺のような場所を訪ねてみました。

近場の散歩だと出かけるまでにのんびりしてしまい、日没まで2時間半という時間に、急がなければと出かけました。

 

新百合ヶ丘駅の丘陵地の小高い場所の間へと消えていく高架線を見て、どんなところへと行く路線だろうと思っていた小田急多摩線です。

 

多摩川の左岸、川崎市の一部が東京都の方へと少し出っぱった場所で、両側が小高い場所に挟まれた谷戸のようです。

栗平駅のあたりでは、小高い場所に霊園が見えました。

昔はきっと波打つように雑木林が続いていたのだろうと、帰宅してから「1960年代〜90年代 小田急沿線アルバム」をひっぱりだして確認したところ、1974年の永山駅あたりもまだ雑木林を開墾しているような風景でした。

 

黒川駅に到着しました。山と山をつないで、黒川を跨ぐように高架橋の線路が通っているようです。駅には、静かにクラッシックのBGMが流れていました。

 

地図では西側の都県境のあたりに黒川の源流があり、そこまで1.5kmぐらいですから訪ねてみたかったのですが、今回は家を出るのが遅すぎました。

 

改札を出て黒川のそばを通る鶴見街道へと下り坂を歩き、そこから数分の汁守神社を目指しました。

日陰バス停のそばにありますが、日当たりがよさそうな場所です。

鶴見街道から右に入った場所に神社がありました。

少し高い場所で、石段を登ると静かな鎮守の森の中に美しい木造の社殿がありました。ふだんは神社を写真に収めることはないのですが、思わずカメラを向けていました。

石でできた手水鉢(ちょうずばち)は「無垢水」と彫られていて、どんな由来があるのでしょう。

 

鶴見街道と神社のそばに、「道路改修記念碑」がありました。神社へと入る道との間に空き地があったのですが、もしかするとこの曲がった小さな道が旧道だったのかもしれません。

そして道が整備される前のこの辺りは、雑木林に囲まれて日陰が多かった場所だったのでしょうか。この記念碑がなければ、道の歴史に思いを馳せることもなく過ぎていました。

 

ここから一旦、駅の方向へと戻り、三沢川と鶴見川の支流の分水嶺のようなところを目指して歩きます。

その手前に、「首都圏随一 プールのある介護老人施設」と看板がある建物がありました。

プールがあるところが終の住処かもしれないなんて羨ましいなと思いながら、切り通しの間の上り坂を目指しました。

 

*黒川上地区*

 

黒川はどんな川なのだろうと検索してみたら、全国に多数の黒川があるようですが、頼みの綱のWikipediaにはこの黒川が載っていませんでした。

 

検索していくうちに、黒川地区として説明がありました。

 

北側・西側・南側を多摩丘陵の山に囲まれ、その豊かな森を水源とする多摩川水系三沢川の水源地である。豊かな森と水に恵まれた当地域では、かつて農業や炭焼きが盛んであり、特に後者は「黒川炭」と呼ばれて良質のものを産したという。また、黒川上地区は市内で一番標高が高い地域で、多摩市との境界付近はおおむね140mほどである。この付近では推定2万4,000年前の先土器時代以降の遺跡が見つかっており、当地域には古くから人々の生活があったことを物語っている。

 

「地名の由来」もありました。

三沢川の源流域であり、多摩丘陵の豊かな森に育まれたその川の水が透明で、底が黒く見えたことによると言われる。ただし現在の三沢川源流域は全てコンクリートの三面張りの水路で、昔日の面影はない。

 

たしかに一見、コンクリート張りの都市河川でしたが、覗きこむと水は澄んでいるように見えました。

 

*この辺りが開発された時代のことを思う*

 

ここから下流域の稲城市から多摩川への合流部まで、山を削り、水辺のそばまで夢だった住宅が立ち並んでいます。

1970年代はまだ川はゴミや生活排水を処理する施設に近い感覚だったのに、半世紀のうちに川の水質が改善されました。

 

人口を増やすことが求められ、さらに、その誰もが自分の夢が実現できるような社会が求められる時代になりました。

そしてわずかの間に寿命も30年ほど伸びて、その間を人間らしくどころかその人らしく生き、死んでいくことまでも実現され始めているというのもまた大きな変化でした。

一旦、農業や産業が災害の被害にあえば元に戻るには何年もかかるのですから、それぞれの川の流れ方に応じて、上流から下流までの全ての人の安全な生活も守ることが求められる半世紀でした。

 

何もかもが驚異的に変化する時代の中で、どこをどうしたらよいのかの葛藤がこの地域ではコンクリート張りの水路だったのではないかと思えました。

 

まだ乗ったことのない路線に載ってみようぐらいの気持ちで訪ねた散歩でしたが、半世紀ほどの時を行ったり来たりすることになりました。

 

 

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