行間を読む 128 谷戸の上に街ができる時代

鶴見川源泉を守る運動は、その15年後にも引き続いていったようです。

環境省「鶴見川源流」の「対象地域の概要」にその経緯が書かれていました。

 

 鶴見川源流域の970haは町田市北部丘陵と呼ばれ谷戸田を中心とした農業が営まれていました。都市基盤整備公団(現 独立行政法人都市再生機構)は、最源流を含むその一部で、多摩ニュータウンに続く宅地造成を計画しましたが、平成15年7月に事業の中止を決定、町田がそのあとを受け「農とみどりのふるさとづくり」としてまちづくりを推進することとなりました。

 その源流域の中心部に位置するのが「泉のひろば」がある約70haの田中谷戸で、中央部の導水(源流の泉/源流泉のひろば)を起点に、下手には幅広い谷地形(中央の谷)が展開し、上手には北の谷(北の入り谷戸)、源源流の谷戸(長谷戸)、中央上手の谷(溜まり池の谷戸)、南の谷(芦田谷戸)が配され、2次河川に対応する2次の小流域となっています。中央上手の谷の一部を除き地形、森ともに残っています。

 

数年前に初めて谷戸とか谷津という言葉を知ったのですが、なぜこの言葉を知らなかったのだろうと、人生で何かを見落としてきた気分になる言葉です。

 

それ以降、車窓の風景からもいつも谷戸や谷津を見落とさないように眺め、そこからその地域の生活や歴史の一端が見えてくるような魔法の言葉です。

 

 

谷戸の上に街ができるという驚異的な変化の時代*

 

この鶴見川源泉は町田市にあります。

子どもの頃から小田急線で町田を何百回と通過してきたので、なんとなく沿線の風景の変化が記憶に残っていますが、小田急線は神奈川に入ると両側が小高い丘陵に挟まれた場所を通過するイメージです。

そしてところどころ、大きな駅があってその周りはビルがありましたが、ほとんどの駅は周辺にわずかにお店があるくらいで普通の住宅地になり、すぐに田園風景や森林の風景でした。

80年代ごろからでしょうか、山肌にぎっしりと家が立ち並ぶ風景へと代わり、さらにここ20年ぐらいでしょうか、高層マンションもぼちぼちとできてきました。

 

この源泉の北側は、京王相模原線の南大沢駅方面へとつながっています。この日の散歩では、計画の段階では南大沢駅まで歩こうかとも思っていましたが、暑さのためにやめました。

京王線も比較的よく利用する路線ですが、相模原線はあまり乗ったことがなく、最近、ぼちぼちとその駅周辺を散歩のコースに入れています。

 

 

昨年のお正月に、名前に惹かれて上谷戸親水公園を訪ねました。

本当に美しい谷戸が残されていました。

帰り道はバスで谷戸の上へと向かうと、京王相模原線若葉台駅の近くの尾根沿いにまるで要塞のように立つマンション群の裏手で、あっと声が出そうなくらい驚いたのでした。

 

この半世紀は、谷戸の上に街ができるという驚異的な変化の時代であったことを実感しました。

 

 

そして私の頭の中の地図の東京西部は半世紀ほど前のままで止まっていて、だからなかなかこの地域の地名や駅名を覚えられないのだとわかりました。

 

 

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