駅のそばに小さな川が流れていて、のぞき込むと美しい流れでした。
あとでWikipediaを読むと、満濃池はこの金倉(かなくら)川を堰き止めたことが書かれていました。
満濃池は8世紀初頭に、金倉川をせき止めて作られたと言われる。このように、金倉川は古くから丸亀平野の灌漑用水として用いられてきた。
川を堰き止めて灌漑を行う、長い歴史に気が遠くなりそうですね。
11時12分発高知港行きの琴電に乗りました。
しばらく少し高い場所を走ると土器川を超えました。地図でたどると水源は、徳島との県境の山中で、その少し離れたところは四国三郎が流れる阿波半田駅のあたりです。
その距離はわずか数キロに見えますが、山を隔てただけで水の流れが全く違って香川県側では小さな川になってしまうようです。
車窓に大きな水面が見えてきました。羽間駅のホームのすぐそばに大池がありました。
列車も緩やかに上ったり下ったり、この辺りは沿線が複雑な地形で斜面が多い印象です。切り通しがあるかと思うとまた小さな溜池が現れ、その溜池からの川が水田の間を流れていました。
台地のような場所に地図では大きな北條池があるのですが車窓からは見えません。陶(すえ)駅のあたりでその北條池からの川沿いをしばらく走りましたが、緩やかな斜面に水田が棚田のようにあり、大小さまざまな溜池も高低差があるようです。
大きな奈良須池がホームのそばまである岡本駅で下車しました。周囲はやはり緩やかな斜面に田畑や家があります。
駅のそばを少し歩いて、琴平行きの電車に乗って戻りました。
*複雑な灌漑の水路*
土地勘が全くないので、最初はこのあたりは満濃池の水が配水されているのかと思っていました。
まんのう町の「満濃池の概要」を読むと、受益地域は「丸亀市、善通寺市、多度津町、琴平町、まんのう町」の2市3町のようです。
羽間駅はまんのう町ですが、小高い山で讃岐平野と隔てられているようにも見えます。大池はそのために造られたのでしょうか。
「琴電沿線の溜池」とひとくくりにしていたのですが、全く違う溜池の水の流れがあるのですね。
あれだけの水田地帯の風景はどのような歴史があったのでしょう。
「満濃池の概要」に県内の溜池について説明がありました。
灌漑用溜池としては県内1位の満濃池
藩政時代の讃岐の特産品は、砂糖・塩・綿で、讃岐三白と呼ばれていましたが、何れも年間気温が高くて雨の少ない瀬戸内海特有の気候の賜物でした。この気候に加えて、香川県は山が浅いために河川によって灌漑用水を得ることが困難で、昔から溜池を築いてこれを補ってきました。従って溜池が多く、県内の現在の溜池総数は約1万6千で、全国の溜池総数22万のうちの10%近くを占めています。灌漑用水の比率を見ると、県内の水田約2万9千町歩の内、溜池掛51%、河川掛37%、地下水によるもの12%と溜池に水源を求める水田が多いことが伺えます。また、溜池掛の水田面積の実に16%に相当する面積の溜池が存在しているため、県内の至るところで溜池を見ることができます。
県内の代表的な溜池を大きな順に、満濃太郎、神内次郎、三谷三郎と呼んでいます。
満濃池の貯水量は1,540万m3で、県内1位の溜池です。
車窓から見えた地形は、「山が浅い」と表現するのですね。
溜池三兄弟、いつか歩いてみたいものです。
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