散歩をする 439 吉野川を眺めながら讃岐国へ

駅の近くを少し歩いただけで眉山の湧水群や落ち着いた街並みそして俘虜収容所長の石碑など、もっと歩いてみたい徳島の街でした。

 

有人改札で切符を見せると、「いってらっしゃい」と駅員さんに見送っていただきました。機械だと、「ピッ」とか「ガチャッ」ですけれどね。

ホームに入り、懐かしいがっしりとした木のベンチに座っていると気分は子どもの頃の「国鉄の駅」のようです。ここから特急剣山で吉野川沿いを阿波池田駅まで行き、そこから特急南風に乗り換えて讃岐国琴平駅まで行く予定です。

 

地図を見ると二つの吉野川は川に沿って地形が似ていることもありますが、どちらにも川沿いをまっすぐ走る鉄道に目が行きます。

そして和歌山線の場合は途中で左岸から右岸へと渡るのですが、徳島の吉野川はずーっと右岸を走ります。

そのまっすぐな線路を地図で比較すると岡山ー姫路間ぐらいに見えますが、74kmあるようです。

ところどころぐっと吉野川に近づきながらの車窓の風景はどんな感じでしょう。

 

 

*剣山に乗って吉野川沿いを走る*

 

がっしりとした車体の「剣山」が入ってきました。こうした古い車両がカッコ良いと感じるようになったので、ちょっと「鉄」になってきたでしょうか。でも「キハいくつ」とかは全くわかりません。

座席につくと、九州横断鉄道と同じようにタバコの匂いが染み付いていました。タバコの匂いで喉や頭が痛くなるのですが、1980年代まで普通に新幹線や特急車内で喫煙していた歴史を記憶した車両が頑張って走っていることに今回はちょっと感激しました。

 

遅れていた牟岐(むぎ)線の接続を待って、出発しました。

佐古駅までの運河を眺め、そこからはどこまでも続くかのような平地に水田が広がり始めました。

石井駅のあたりから飯尾川が近づきました。第十堰のあたりを思い出してもっともっと歩いてみたかったと悲しくなる気持ちを振り切るために、風景に集中です。

 

緩やかに上りながら走り鴨島駅を通過すると、吉野川医療センターの敷地内に川がある風景が見えました。

地図では旧河道の名残のような水色の線が描かれています。歩いてみたいものです。

 

吉野川の堤防が近づき、そばの小高い場所に川島城が見えました。その切り通しを過ぎて阿波川島駅があり、右岸からの小さな川が複雑に吉野川へ流れ込んでいます。吉野川の堤防と並走しているのですが、川面は見えません。ところどころ水田があり牛舎も見えました。庭先でお茶を飲んでいる方の姿が見えました。

どこまでも美しい屋根の風景とその先に見える堤防が続きます。このあたりでは、どんな治水の歴史があったのでしょう。

 

川田駅を過ぎて、待ちに待った吉野川の水面が見えました。

川幅は広くゆったりと、浅い流れです。

地図では山の際を線路が通り、その少し上流に左岸からの曽江谷川と右岸から穴吹川が合流していますから、さぞかし左岸側は氾濫が多い場所ではないかと想像できます。ところが車窓からは川沿いの竹藪と左岸よりも高い場所に住宅地が見えました。

穴吹駅のすぐそばに堤防が見えます。このあたりから製材所がぼちぼちと見え、野焼きの良い香りが車内に入ってきました。

小島(おしま)駅のあたりからまたゆったりと流れる吉野川が車窓に見えました。対岸は山のような斜面で中腹に家がぽつりとあるくらいです。

貞光駅を過ぎるとつるぎ高校のグラウンドで、ラグビーの練習をしているのが見えました。その向こうは吉野川です。うらやましい場所ですね。

 

山肌に沿ってぐいと曲がり、阿波半田駅を過ぎるとまた列車の高度が上がっていくのがわかりました。沿道に「半田そうめん」が見えました。各地に広がったそうめんですが、半田そうめんはここだったのですね。

 

高度は上がっていきましたが、河川敷も広くまだゆったりと吉野川が流れています。徳島から57キロと表示がありました。

 

次第に岩が増え、線路より一段下に田畑が見えるようになり、佃駅に到着。対岸に落ち着いた街が見えました。その対岸の街が途切れて山になりダムが見え、香川用水へも水を送るダムだとつながりました。

そのダムのすぐそばに阿波池田の街が広がり、吉野川ぞいの1時間15分の車窓の散歩が終わって阿波池田駅に到着しました。

 

 

*特急南風で琴平駅へ*

 

徳島駅を遅れて出発したので、10時20分の特急南風8号岡山行きの乗り継ぎ時間5分はもう間に合わないかと思いましたが、岡山行きも3分遅れでした。

海外からの観光客など結構混んでいて座れないこともないのですが、一駅なのでデッキで風景を眺めることにしました。

 

いったん佃駅まで戻り、そこで吉野川を渡り列車は香川県との県境の山へと入っていきました。名残惜しい美しい吉野川です。

琴平駅まで23分だからと思っていたのですが、結構揺れる列車でした。デッキでも何かにつかまっていないと飛ばされそうになります。

泣いている赤ちゃんをあやすためにデッキにきたお母さんも大変そうでした。

地図で見直すと、吉野川を渡ったあと西側へとすごいカーブで向きを変えていました。

落ち着いた街並みが終わると見上げるような山が窓の外に迫って、トンネルへと入りました。

 

トンネルの途中から下り坂になり、ふと視界が開けて「讃岐サイダ」の看板が見えました。棚田や溜池や水田が見えて、讃岐国に入ったことがわかりました。

 

しばらく山あいの水田を眺め、しだいに平地になり広々とした水田地帯と灰色の屋根瓦の美しい家々が見えたあたりで、右側の車窓に集中しました。

満濃池があるあたりがどんな場所なのか、溜池が気になり出した2018年ごろからいつかみてみたいと思っていました。

 

水田の向こうに低い丘陵地帯が見えます。その真ん中に大宝年間(701〜704年)に造られた溜池があるようです。

 

徳島から香川へ、こんなにも水の風景が違うのかと思っているうちに10時43分定刻通りに琴平駅に到着しました。

もしかしてかなり揺れたのは、安全にかつ時間を巻いたこともあるのでしょうか。

 

今回の散歩の最終の計画、琴平電鉄沿線の溜池を見てまわることにしましょう。

 

 

 

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