米のあれこれ 75 弥生時代から稲作が行われた丸亀平野 

香川県のため池を地図で眺めていると、最初はそのアトランダムに散りばめられたようなため池群に圧倒されていたのですが、少し違いを感じる地域がありました。

それが丸亀市内で、他の地域に比べてため池と水路そして道が全体に北西に向かって整然とあることでした。

 

丸亀城を中心にしているからだろうか、それとも平野部だから現代に入って区画整理が行われたのだろうかとあれこれ想像していました。

 

その答えを香川用水記念公園内にある水の資料館の展示で見つけました。

 

 

*「丸亀平野のほとんどが古代に開拓」*

 

丸亀市全域の地図に碁盤の目のような線が引かれた「丸亀平野の条里制地割」が展示されていました。

 

弥生時代から稲作が行われた水系流域

 

土器川(どきがわ)と金倉川(かなくらがわ)が流れる丸亀平野には、古代からの遺跡が集中しています。また条里制によって開拓された土地の割合がきわめて高く、満濃池をはじめとした大小のため池が多いなど、旱魃や洪水とたたかいながら開拓をすすめてきた先人の足跡がいたるところに見られる地域です。

 

「条里制によって開拓された土地」、奈良公園のそばの地下道の壁に描かれていた平城京の水田風景を思い出しました。

現在も残る条里制の道は、ため池と水路そして田んぼを中心に造られたのでしょうか。

 

 

丸亀平野を流れる二つの暴れ川

 

 土器川香川県で最大級の河川です。金倉川とともに丸亀平野を流れて瀬戸内海へと注いでいます。香川県の他の河川と同様、流路が短く急流で、古来からしばしば大洪水に見舞われています。金倉川も相当の暴れ川であった痕跡をとどめており、満濃池はこの川を堰き止めて造られています。

 

 

今年4月に金倉川と土器川を見ましたが、ここ数年各地の「暴れ川だった」と言われる川を訪ねてきたので、それに比べると「小川」に見えるほど小さい川でした。

 

ただ、琴平駅のあたりでは金倉川の流れによって削り取られた地形のようでしたし、土器川も水量の割には広い河川敷が続いていたのは、そういうことだったのかもしれませんね。

 

「流路が短く急峻」な川は大雨で一気に流れて洪水を起こすが、貯めることも難しいので旱魃にもなりやすい。

大和平野とこれもまた似ていますね。

 

それでも紀元前から田んぼをつくり守り続けてきたのですから、水田は健在の気が遠くなるような理由の跡が地図に残っていたのでした。

 

 

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