水の神様を訪ねる 79 布勢湖と八幡神社

湊川沿いの遊歩道から県道76号線に出て、まっすぐ西へ歩くと十二町潟水郷公園があります。

 

少し上り坂になり、その先に国道160号線の大きな道路との交差点に「朝日丘」とあり、その中でも一段高い場所に八幡神社がありました。

お社までは石段を登るようですが、鳥居の近くに御由緒がありました。

 

当社は旧布勢湖の入り口に当り、部落の名を村上と呼び、古墳型丘陵に文化の神八幡宮が祀られて来た。天明六年明細帳に「大伴家持卿の御創建越中国守として出挙の政の折、此の辺りに悪亀住み、汐を吹き上げては田園を害するため磐を以って圧し鎮められたので此処をシヅメの森又は鈿女(うづめ)森と云ふ」として「雀森立ち越し見れば布勢の海浪のこし路に白彦の神」なる作歌あったと伝へてゐる。それは海抜ゼロメートルの湖西潮の逆流に田の損なひの甚だしいのを、付近一帯の岩盤浅瀬を利用して治水に労せられた祖先の姿を語るもの。後これを承けて八幡の疎水(新川)が掘られ仏生寺河口に大排水ポンプを設けて十二町潟は貯水湖化した。

祭礼古は春四月六日、今十七日とせるは、元十二町神社の里宮であったから、山宮の日を取ったもの、秋は九月八日旧を存して変わらぬ。

昭和五十八年七月   宮司  吉川正文識

 

ふらりと立ち寄ったところ、期せずして十二町潟の歴史とかかわりのある神社でした。

 

鳥居を後にして交差点に立って、あっと声が出ました。

小高いその「古墳型丘陵」はざっくりと切り通しになっていて、八幡宮の一角だけが残っていました。

これは地図を見ただけではわからないものですね。

 

 

 

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