落ち着いた街 37 湊川沿いに氷見の街を歩く

氷見漁港の敷地の周囲は、ツツジカキツバタなどが植えられて街路樹の美しい歩道が整備されていました。

そこから漁師町のような住宅地を抜けて、県道373号線沿いの商店街を南へと少し戻ると先ほどの小さな川がありました。

 

この川もまたたくさんの草木が植えられた遊歩道になっていて、歩くのが楽しい道です。

100mほどで川はぐいと直角に曲がり、しばらく南へと続いています。

 

静かな住宅地が続く中に、大きな木造の蔵がありました。

みなとがわ倉庫

 みなとがわ倉庫は、元々はその隣に建つ旧藺製品倉庫(きゅういせいひんそうこ)と共に、大正後期に旧氷見銀行の米倉庫として湊川(みなとがわ)の川べりに建てられ、当初は朝日倉庫と呼ばれていた。旧藺製品倉庫は、のちに氷見市藺製品農業協同組合連合会が取得し、昭和三、四十年代頃まで氷見の特産であった藺草(いぐさ)の加工品である茣蓙(ござ)や畳表(たたみおもて)などの藺製品の集積拠点としても活用された。昭和三十二年には、藺製品需要の増加により、生産拠点兼作業場が建設された。建設当時の旧氷見銀行朝日倉庫の写真からは、現在の出入り口のすぐ前に、舟をつけて荷物の揚げ降ろしをするための荷揚場があったことが分かる。

 その後は、湊川の水量の減少や河川改修などにより川幅が狭まり、倉庫との間にも道路が設けられた。しかし湊川の縁に建てられたみなとがわ倉庫には、近世の氷見町の町人たちが、屋敷地を湊川沿いに置き、物資の運搬にその水運を活用していた歴史の一端があらわれている。

 そうした湊川沿岸の歴史的景観を今に伝えていることが評価され、みなとがわ倉庫は、隣接する旧藺製品倉庫と旧藺製品作業場と共に、建造物としては氷見市で初めて国登録有形文化財として登録された。

 現在、当倉庫は氷見市が所有者となり、まちなかの賑わい創出のための貸しスペースとして活用されている。

 

地図ではこの小さな川は名前がわからなかったのですが、十二潟からの排水路だろうと思っていました。

想像よりも、もっと歴史があったようです。

そしてという字に、この街に親しみがぐんと感じられたのでした。

 

鶯がなき、真っ青な空のもと、ゆったりと流れる湊川沿いに歩きました。

ところどころ畑があり、次第に西側の丘が近づいてきました。

ここからは湊川から少し離れて歩くと、誓度寺の竹藪をすぎて県道76号線に出ました。

 

湊川はこの少し南側で、またぐいと向きを変えて西の十二潟の方から流れてくるのですが、十二潟を挟むように南側を流れる仏生寺川と合流するわけでもなく並行に流れる場所があるようです。

おそらく潟から水田地帯へと変化した歴史がわかるような場所ではないかと思うのですが、バスの時間もあるので十二潟へと向かいました。

 

 

 

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