水の神様を訪ねる 72 安政の大地震と浮島沼塩害

興国寺城の大本丸土塁の前にある神社は根古屋高尾山穂見神社で、その由来がありました。

 

高尾山穂見神社の本社について

 

 本社である高尾山穂見神社は、山梨県巨摩郡櫛形町(現南アルプス市)の櫛形山北東の山腹にある三冠集落高尾に位置します(高尾四九九番地)。

 平安時代にまとめられた書物「延喜式(当時の法令)」に、穂見神社として名前が残り、御正躰が彫られた鎌倉時代の鏡があります。号と地名が彫られた中では、日本最古の天福元年(一二三三年)とあり、山梨県重要文化財となっています。

 

身延線が富士川に沿って山間部へと入るまで、西側に見えていた山々のどこかのようです。

 

 

当地 根古屋に勧請

 

 古老の言い伝えによりますと、施主十五名の村人が、高尾山穂見神社本社(前述の山梨県)から分詞して、安政四年(一八五七年十二月巳の日)に、この地、根古屋の大村栄太郎さんの所有地を借用して祀ったのが始まりと言われています。

 根古屋に神社を勧請した安政年間には、安政の大地震と呼ばれた巨大地震が発生(安政元年)し、大津波のため浮島沼塩害により大きな被害を受けました。農作物の収穫が減り住民は疲労困憊していました。その頃の根古屋の住民は、ほとんど農民であったと思われます。このような状況の中、地域の代表が新物の加護を願い、五穀豊穣を祈願して、農業神である高尾山穂見神社から分詞してもらい、この根古屋の地に祀ったのが「根古屋高尾山穂見神社」です。

 

地番 沼津市根古屋字古城三五九番地

祭神 保食神(うけもちの神)

日本神話で五穀を司る神で、五穀豊穣、養蚕成就、商売繁盛に御利益があるとされています。

 

 

安政の大地震、今までの散歩でもその記録を目にしました。

長泉町では竹原富士湧水群が湧き出すきっかけになり、深大寺では入間(いりま)川の水が枯れて深大寺用水建設のきっかけになった地震でした。

 

浮島沼は塩害があったのですね。どのような規模でどれくらいの歳月をかけて、田畑を回復させていったのでしょうか。

 

信濃川流域邑知潟(おうちがた)のように海岸沿いの潟は排水不良による塩害があることを知りました。さらに東日本大震災の亘理(わたり)の水田地帯の塩害のように災害から田畑が戻るまでに現代でも何年もかかるのですから、当時はただただ神に祈るしかなかったことでしょう。

 

 

興国寺城の真下に広がるかつての浮島沼の水田地帯と、その向こうに見える千本松原と駿河湾を見守るように根古屋高尾山穂見神社が建っていました。

 

 

 

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