水の神様を訪ねる 92 見沼代用水東縁沿いに弁財天と氷川神社へ

見沼大橋を渡ると持総寺の前に見沼代用水東縁の水路があり、鮮やかな彼岸花が咲いていました。

西縁に比べても水量が多く、こちら側の方が水田が多いからでしょうか。水路をのぞき込むと、はるばる利根川から運ばれた水は澄んでいました。

東縁沿いには、「緑のヘルシーロード」として遊歩道とサイクリングコースが整備されているようです。

 

この先に、かねてから訪ねてみたいと思っていた見沼弁財天があります。地図で見つけ、おそらく見沼代用水にゆかりのある場所だろうと想像していましたが、バス停も離れているし歩ききれない可能性を考えると躊躇していました。

東大宮駅から風渡野まで歩いたことでこのあたりの距離感がつかめましたから、なんとか歩ききれそうです。

 

 

*東縁沿いに見沼自然公園へ*

 

しばらく彼岸花の美しい遊歩道を東縁の水面を見ながら歩くと、稲刈りが終わった直後の広い田んぼがありました。その田んぼを眺められるように休憩場所があるのもすてきです。

 

先ほどの見沼大橋からの道とぶつかるところに古い石碑がありました。「八畝割災害、復旧伏越工事竣工記念碑、竣工昭和26年」という文字がかろうじて読み取れました。

「やせわり」と読むようですが、検索してもこの地域の災害について見つけられませんでした。

 

道路を渡るとその先に見沼自然公園が見てきました。

右手が高台で住宅地が続いていますが、水路沿いの低い部分は田んぼになっていました。一角だけまだ稲穂が重そうな田んぼがあって、子どもたちの稲刈り体験用のようです。畦道には白い彼岸花が咲いていました。珍しいですね。

この辺りは左手もすぐに小高い場所になり、「Uの字」の右側の谷津に水田が続いています。

 

 

*加田屋川そばの弁天様*

 

見沼代用水東縁に沿って道なりに歩くと、少し渓谷のように狭まった場所で県道214号線を渡り、その先は急にひらけて水田地帯が見えてきました。

先ほどまでは小さな小川だった加田屋川が大きな流れになり、日曜日でしたが護岸工事や除草をしているのが見えました。

右手の見沼代用水東縁は少し高い場所を通っています。遊歩道のそばに、また田んぼをながめられるようにベンチがあります。しばらく休憩して元気が出ました。

 

地図にあった「加田屋弁天」を訪ねると、遊歩道が一旦途切れて迂回するあたりに小さな祠がありました。どのような歴史があったのでしょう。

 

 

*見沼弁財天へ*

 

目的の見沼弁財天までは途中で挫折するかと思いましたが、稲の香りがあたりに立ち込めていて、時々水量の多い東縁の水路を眺めているうちに到着しました。

 

ここにも田んぼを眺められるようにベンチがあり、水路のそばに立派なお社がありました。

見沼七弁天

 

 見沼田んぼ開発の際に、伊澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)は、水路沿岸要所に弁天社を祀り、水路の安定と豊作を祈願したといわれています。

 見沼に沿って七つの弁天社が祀られているため、これらを総称して見沼七弁天と呼ばれています。見沼に面した台地の各所には社があり、「弁天下」など地名も残っています。どの社をもって、七弁天とするかは、定かではありませんが、水に畏敬の念をもっていたことが伺い知れます。

 「見沼弁財天」は別名「溜井(ためい)弁天」といい、見沼が開発される数十年前の延宝年間に開田された所で、見沼干拓の発端となった由緒ある場所です。昭和五十四年の埼玉合口二期工事事業の無事完成を記念して社殿を新築しました。

 弁財天は白蛇を弁財天の使いとしていると言われ、昔から水の神様として、水を治め、水難からの守護として人々の信仰を集めてきました。江戸時代の村人は自然の猛威による水田の壊滅的打撃を最も恐れ、台風、長雨などの風水害から守るため、水の神である弁天社を多く祀ったのでしょう。

 

「水に畏敬の念」「水を治め水難からの守護」

こうした言葉に出会うことができました。

 

 

氷川神社へ*

 

ここから北へ1.5kmほどのところに見沼代用水東縁と加田屋川に挟まれた場所に七里総合公園があり、そのそばに氷川神社があります。

そこを最後の目的地にしていました。

 

見沼弁財天からしばらく緩やかに蛇行する東縁の水路の右手は、屋敷林のある農家がポツリポツリとあり、その敷地へと水路の上に小さな橋がかけられていますが、柵の内側なので一般の人は入れないようです。

江戸時代からこの水路を守ってこられた家でしょうか。

 

七里総合公園から緩やかな上り坂で県道105号に出て、しばらくすると氷川神社があるようです。

鎮守の森というより、木々がお社におおいかぶりそうな中に古い小さなお社があり、「第六天神社」とありました。御由緒はわからなかったのですが、かつては沼を見下ろす場所だったことがわかりました。

 

ここでさすがにこれ以上は歩けそうになく、東武アーバンパークライン七里駅に行くバスに乗りました。

 

バスの車窓から見沼代用水東縁の水路が北東へと曲がって離れていくのが見えました。

その先は沼の台地の上でもなく、すぐに綾瀬川右岸の平坦なかつては排水の悪い沼地のような地域になります。

昔の人はどうやって、そこに水路を通してこの先の干拓した水田に十分な水を行き渡らせることができたのでしょうか。

 

水への畏敬とともに、水路を造り出した昔の人たちへの畏敬の念もまた大きくなる散歩でした。

 

 

 

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