水の神様を訪ねる 91 氷川女体神社から見沼代用水東縁へ

今回の散歩のスタートをどこにしようかと考えましたが、一つは前回の東浦和駅からその名も「見沼」という地域の水田沿いに見沼代用水西縁沿いに歩けるだけ西縁を歩くというものでした。

 

ただ、その先に北へ2kmほどのところにある氷川女体神社のあたりが蛇行しながら対岸の見沼代用水東縁へぐっと近づく場所がずっと気になっていました。

地名の「宮本」は氷川神社があることに由来するのでしょうか。

さらに北西へ300mほどのところに「氷川女體神社参道鳥居」と地図にあります。長い参道があることが不思議ですが、今回は沼のほとりに建てられた氷川神社から訪ねてみたいと思いました。

 

 

*氷川女体神社*

 

東浦和駅からバスで16分ほど「朝日坂上バス停」の前からぐんと下り坂になりまた上ったところにバス停がありました。参道はこの谷間だとわかりました。

鬱蒼とした鎮守の森が見え、その先は「沼」に向かって下り坂になって見沼代用水西縁が流れていました。

ここにも「見沼たんぼの見所案内」がありましたが、この辺りは田んぼはなくて公園と畑のようです。

 

水路のすぐそばの石段を登ると本殿がありました。

武蔵國一宮 氷川女體神社

◻︎御縁起(歴史)

 当社は旧見沼を一望できる台地の突端「三室」に鎮座する。見沼は神沼として古代から存在した沼で、享保十二年(一七二七)の新田開発までは、一二平方キロメートルという広大なものであった。この沼は御手洗(みたらし)として当社と一体であり、ここに坐す神は女體神、すなわち女神であった。

 創建の由来は明和四年(一七六七)に神主武笠大学の記した「武蔵一宮女躰宮御由緒書」(大熊家文書)によると、「崇神帝之御勧請」「出雲国大社同躰」とある。また「神社明細帳」控えには、見沼近くにある当社と現在のさいたま市大宮区高鼻鎮座の氷川神社、同市中川鎮座の中山神社(氷王子社)の三社を合わせ氷川神社として奉斎したと載せる。

 中世、旧三室郷の総鎮守として武家の崇敬が厚く、社蔵の三鱗文兵庫太刀は北条泰時の奉納と伝える。

 祭祀は御船祭と称し、隔年の九月八日に見沼に坐す女神に対して行われた。しかし、古来より続けられてきた御船祭は、享保十二年(一七二七)見沼新田の開発が始められたため、沼中の祭祀が不可能になった。このためやむをえず磐船祭と称し、沼跡の新田の中に小山を築き、舟形の高壇を設けて周囲に池を掘り、ここを見沼に見立てて祭祀を行うこととし、同十四年(一七二九)九月から斎行された。下山口新田には、祭場遺跡として「四本竹」の地名が残るが、近年の発掘調査では多数の注連竹が発見され、これを裏付けた。

 社叢は、埼玉では珍しい暖地性常緑広葉樹叢であることから、昭和五十六年に埼玉県より「ふるさとの森」の第一号として指定された。

 

社叢という言葉を知ったことで、こうした御由緒の読み方が変わってきました。

 

*見沼代用水西縁の蛇行した場所から加田屋川を渡って対岸へ*

 

ここからは見沼代用水西縁沿いの遊歩道をのんびりと歩きました。

左手は少し高い場所に住宅地が続き、右手は「見沼たんぼ」と地図に書かれていた場所が続きますが、想像していたような水田地帯が広がる風景ではなくずっと畑でした。

地図通り見沼代用水西縁と遊歩道が蛇行しながら北へ向かい、その左手は次第に見上げるような高い場所になっていました。

 

途中に「見沼代用水を築いた井澤弥惣兵衛為永のご子孫等による見沼代用水の歴史講演会」のお知らせが水路沿いに貼ってありました。

残念、数日後の週末のようですが仕事です。

でもこうしてまるで「水の流れ」のように、歴史が語り継がれていく地域があるのですね。

 

最後の蛇行の部分をぐいと西へと歩くと、先に大きな橋が見えてきました。

「沼」の対岸へと向かう見沼大橋で、想像以上に交通量が多い道でした。

メアセコイアの大きな街路樹の間を歩くと見沼大橋になりましたが、橋の上からも水田らしき場所は見えません。草むらのような中にあの排水路として開削された芝川がありました。

芝川の先にもう一つ小さな加田屋川を渡ると、ふたたびメタセコイアの街路樹のある道路が大きく北へと曲がりながら、見沼代用水東縁に近づきました。

 

ようやくこの辺りで、稲穂が重そうな田んぼが少し見え始めました。

 

振り返ると、対岸の向こうにここから西へ数キロ以上あるさいたま新都心の高層ビルが見えました。

 

沼から溜池へ、そして干拓されて水田へ、そして緑地としての保全へ、見沼たんぼの歴史の一端が見えてくるような場所でした。

 

*おまけ*

 

Wikipediaの「氷川女體神社」の「見沼周辺の氷川三社」にこんなことが書かれていました。

元の見沼付近に位置する当社と氷川神社中山神社は直線上にある。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女體神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。

地図で確認すると確かに直線上にあり、冒頭の氷川女體神社参道もまたほぼその直線上のようです。

 

「信仰」と「科学」の境界線はなんだろうかと、神社に対するイメージが変わってきました。

 

 

 

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