新生児にとって「吸う」ということはどういうことか 7 <「乳頭混乱」という仮説の広がり>

子宮の胎外にでて自分の力で生きていくためには、栄養を自力で獲得していかなければいけません。
自力といってもヒトの場合には自分で動くこともままならないので、目の前にある栄養源を取り込むことが第一歩です。
「哺乳」という行動です。


周産期医学 Vol.40 増刊号/2010 の「哺乳障害」(p.548)に以下のように書かれています。

哺乳は、出生後の新生児が最初に行う複雑で緻密な行動で、生命を維持し、発育するために必要不可欠なものである。


子宮内の胎児は、在胎16週ごろには羊水を嚥下する様子が確認されています。
少しずつ、少しずつ羊水を飲み、腸へ送り、そして胎便を準備していきます。
つまり、胎内ですでに赤ちゃんは「飲む」ことができています。
専門的なことはわかりませんが、消化管奇形その他の異常があって胎内で羊水を飲むことすらできない場合には胎内でその寿命が尽きるのかもしれません。



子宮胎内で「飲む」ことができた赤ちゃんたちが、子宮胎外に出ると飲めなくなる「哺乳障害」というのはどういうことなのでしょうか?


<哺乳障害とは>


前出の「周産期医学」から書き出してみます。

哺乳障害の原因と診断
 哺乳行動はさまざまな構造的、神経的経路が関与する複雑で高度な運動であり、そのいずれかの経路が機能不全に陥っても哺乳障害が起こりうる。
その原因は、1.構造の異常、2.神経節の異常、3.感染性疾患、4.薬物に大別されるが、急性疾患の初期症状としてみられるものから、先天的な異常、慢性疾患の主症状であるものまでさまざまで、注意深い観察と鑑別診断が必要である。
 急性疾患では、時に哺乳障害が重篤な疾患の初期症状であることもあり、鑑別診断のため採血、X線などのスクリーニング検査を行うとともに、原疾患の治療が必要であるが、全身状態の改善とともに哺乳障害は軽快する。
 一方、慢性的な哺乳障害を訴える場合、顔貌、外表奇形の有無、筋トーヌスなど身体所見の注意深い観察に加え、その原因の鑑別に内分泌検査、アミノ酸有機酸分析等の代謝検査、染色体検査、消化管造影、心エコー、頭部画像検査を含む二次検査が必要である。

この文献は、三重中央医療センター総合周産期母子医療センター新生児科の医師が寄稿されたものですが、NICU入院中の主な哺乳障害としてあげている3点を要約します。

1.早産児と哺乳障害
早産児では32週以降、吸啜圧、分時吸啜回数、吸啜時間が増加し、36週にかけて哺乳効率が有意に改善していく。
32週頃には嚥下の前後で高率に呼吸停止が見られるが修正35週以降になると呼吸停止は激減し、吸啜ー嚥下ー呼気のサイクルが確立される。
28週未満の超早産児では、経口哺乳の確立時期はそれ以降の早産児に比べて遅れる傾向にある。

37週未満でのお産を早産と言いますが、ただ単に体重が小さいというのではなくどれだけ胎外生活に適応する能力を準備できたかという境界です。
早産の赤ちゃんは、週数が早ければ早いほど、栄養を獲得するための哺乳という複雑な行動が障害されるだけでなく、もし世の中に4ヶ月早く出てきてしまった場合、4ヵ月後に普通に哺乳できるようになるわけにはいかないことが多いということです。


2.染色体異常と哺乳障害
ダウン症候群の児では、口腔周囲筋の筋緊張低下のみならず、舌運動の異常が指摘されているが、経過とともに吸啜圧、吸啜時間の改善がみられることが報告されている。
Prader-Willi症候群は、新生児期から筋緊張低下による哺乳障害により経管栄養となることをしばしば経験する。

3.口唇口蓋裂
口唇口蓋裂は哺乳障害を伴いやすい代表的な構造異常である。その原因は、鼻咽腔閉鎖機能不全と口腔内陰圧の低下である。口唇裂単独例であれば、口唇裂部のテープ貼付により良好な哺乳が得られる。
口蓋裂合併例では、口蓋床の装着や口蓋裂用乳首を用い、なるべく経管栄養を避けて哺乳機能の発達を促すが、必要に応じて経管栄養を行う。

以上はNICUの報告ですが、通常の産科病棟でも哺乳障害の赤ちゃんに出会います。多くが出生直後に呼吸状態が安定していない赤ちゃんたちです。
呼吸が安定していない状態で、呼吸に負荷のかかる哺乳を自ら避けているということでしょう。「吸わない」ための行動のひとつとも言えるかもしれません。


またダウン症候群や口腔の異常を伴う赤ちゃんにも出会います。哺乳における探索行動で]口唇口蓋裂の赤ちゃんたちのことを書いたように、徐々に哺乳機能が発達するまで栄養や水分が不足しないように哺乳瓶で補足しながら成長を待ちます。


<「乳頭混乱」についての定義など>


以上のように「哺乳障害」に関してはある程度定義や原因、対応について明らかにされていますし、周産期関係の本でも「哺乳障害」という項目は容易に見つかります。
ところが「乳頭混乱」に関しては、ほとんど定義すら書かれていません。
「乳頭混乱」などについて書かれた文献をひろってみます。


前回紹介したラクテーション・コンサルタント協会の「母乳育児支援スタンダード」の「ステップ9:乳頭混乱(nipple confusion)とおしゃぶり」(p.33)の部分を再掲します。

ステップ9は人工乳首(哺乳びん)とおしゃぶりの使用を禁止したものであるが、これは出生直後から哺乳びんを使用した場合、児が乳房を吸わなくなる「いわゆる乳頭混乱」と呼ばれる現象があるためである。「いわゆる乳頭混乱」という言葉を使ったのは、乳頭混乱の概念や成因についてはさまざまな説があり、いまだ医学的なコンセンサスが得られていないからである。しかしながら、はっきりとした機序は不明であっても、出生直後から哺乳びんで人工乳を飲ませることで、児が乳房を吸えなくなり母乳の確立が阻害される例があるのも間違いないことであり、補足が必要な場合は可能な限りカップフィーディングなどの方法を試みるべきであろう。

まず、「乳頭混乱」は何を指しているのか明確ではないということです。前回、おお泣きして吸いつかない赤ちゃんについて書きましたが、日々新生児に接している私にとっても「そのことを指しているのかな」という程度の漠然としたものです。
上記の本では、同じページで「おしゃぶりと母乳栄養についての主な研究」については、4つの文献を提示しています。
ところが、「人工乳首(哺乳びん)を出生直後から使用することと母乳栄養について」という研究はひとつも示されていません。


少なくとも人工乳首を使うことによってどれくらいの割合の新生児・乳児が直接おっぱいを吸うことができなくなり人工栄養あるいは搾乳を哺乳瓶で授乳する必要があるのかを、問題ととらえる側が示す必要があるのではないかと考えます。


出生直後から人工乳首を全く使用しない施設に勤務していると、どのように新生児が哺乳びんでの授乳をするかという観察の機会が減ることでしょう。
私自身は人工乳首の使用を規制された施設に勤務したことはないので、出生直後から新生児に哺乳びんでの授乳もしてきましたが、「いわゆる乳頭困難」は日常的に起こるほどの頻度ではないと考えています。
多くの児が、「問題なく」混合栄養、つまりおっぱいもうまく吸えるし哺乳びんもうまく吸えています。


「出生直後から哺乳びんで人工乳を飲ませることで、児が乳房を吸えなくなり母乳の確立が阻害される例があるのも間違いない」という点に関しては、私も「あり得る」とは考えていますが、非常にまれなケースだろうという認識です。
また「最初に人工乳首で哺乳したから」うまく吸えないというほど、いわゆる「刷り込み」を思い起こさせるような原因ではなく、2週間、3週間という長い間で「哺乳びんの授乳に慣れておっぱいを吸わなくなる」という感じではないかと考えています。
また赤ちゃんがおっぱいでなく哺乳びんを選択する理由も徐々に書いていくつもりですが、「乳頭混乱」ではなく違った理由があるのではないかと考えています。


また、最近「哺乳びんは使用せずに、スプーンやコップを用いた授乳」を勧めていることをよく耳にするようになりました。
昨年の震災の直後には、被災地向けに母乳栄養を続けるためには哺乳びんを使用せずに紙コップでの授乳を勧めるメッセージが日本ラクテーション・コンサルタント協会から出されたことは記憶に新しいことです。


前回の記事で私が体験した「おっぱいに近づけるとぎゃん泣き」の赤ちゃんも、補足は人工乳首(哺乳びん)ではなくカップフィーディングを実施すればより効果的に直接おっぱいについつけるようになるのでしょうか?
どいうよりも、全国に60箇所ぐらいできた「赤ちゃんにやさしい病院」では、出生直後から医学的に必要としない場合以外には全く人工乳首での授乳はされていない新生児がたくさんいます。
その中にでは「いわゆる乳頭混乱」という新生児は有意に少なくなるという研究や報告があるのでしょうか?


そのような完全母乳を目指すような病院でも、胎外生活に適応する特に出生後数日から2〜3週間の間に、なかなか体重が増えなかったりおっぱいに吸い着かなくて搾乳や人工乳を補足する必要のある赤ちゃんがいることでしょう。
ですから「カップフィーディング」までして授乳が必要な赤ちゃんが一定数出現するということです。
そのような赤ちゃんは「吸わない」ことは「吸えない」のではなく、あるいは「母親の乳首と人工乳首を混乱してしまっている」と否定的な見方だけはなく、あえて「吸わないようにしている」場合も考えられるのではないかと思っています。


何が言いたいかというと、現時点では「出生直後からの人工乳首の使用」が「母乳確立を阻害する」直接の原因といえるほどの根拠はないということです


<新生児の哺乳障害について考えたあれこれ>


生まれたわが子がおっぱいを吸わないというのは、親にとってとても心配になることです。
出生後、なかなかおっぱいに吸いつかない赤ちゃんを前に「おっぱいなんてもっと簡単なことだと思っていました。」「おっぱいは生まれたら吸いつくものだと思っていました。」と、お母さんたちはとても驚かれます。


医学的に明らかになっている「哺乳障害」以外にも、なかなか吸わない赤ちゃんがいます。理由もさまざまなのだと思います。
また、生後日数によっても一日一日変化するので、「昨日まではおっぱい拒否だったのに、今日はいきなり上手に吸うようになりました。」ということもたくさんあります。
また入院中はなかなかおっぱいを吸わなかった赤ちゃんが、生後2〜3週間ぐらいから急激に変化して吸いつくようになることも、しばしば体験します。


このような赤ちゃんたちは「吸えない」問題のある赤ちゃんとしてとらえられることが多いです。
私たちは「新生児の専門家」として、問題解決のためのあれこれを考えます。


時としてその専門家の仮説が間違っていたり、確証バイアスで「これが正しい」と思い込むととんでもない方法が広がってしまうことがあります。
私は同僚と比べても母乳栄養に人一倍関心があると思っています。
その動機は何かと言うと、「おっぱいがうまく吸えないのは舌小帯のせい」と切除を勧める人たちに出会い、それはおかしいのではないかと感じたことでした。
20年以上も前のことです。
今では小児科学会の長い長い努力によって、「舌小帯切除」は不要ということが明確にされました。
それでも、一旦社会に広まった考え方を正していくことは大変です。


「うまく吸えない」赤ちゃんの親は不安ですから、なんとかしようといろいろな方法を探します。
成長とともに赤ちゃん自身が吸おうとした時期であったかもしれないのに、「その方法が良かった」と広まってしまうこともあります。
中には舌小帯切除のように不必要に赤ちゃんの身体を傷つける処置まで、「それでよくなった」と社会が認めてしまうこともあります。


「乳頭混乱」と「出生直後から哺乳びんを使用しない」という考え方に対しても、定義や根拠さえ明確になっていないうちに広がってしまっているのではないかと危惧しています。
そのために、「赤ちゃんが吸うということ」はどういうことなのかというところを書き続けています。


次回は、哺乳びんと直接おっぱいを吸う時の違いがあるのかについて書いてみようと思います。
長文を読んでくださった方、ありがとうございます。




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