哺乳瓶のトリビア

太古の昔から「吸わない」「飲まない」赤ちゃんがいて、その哺乳行動を助けるためにきっといろいろな工夫がなされてきたのでしょう。


哺乳瓶はいつ頃から使われ始めたのかという素朴な疑問で検索していた時に見つけたのが、兵庫県小野市の好古館のサイトでした。


好古館と文化財 ーこどものくらし玩具シリーズー

哺乳瓶の歴史は意外と古く、ローマの遺跡からも見つかっています。
日本でも1830年ころには太い竹の筒に細い竹筒を差し、その先に布をつけて重湯(おもゆ)や重湯にハチミツを混ぜたものなどを乳児に与えていたことがわかります。
今のようなガラス製の哺乳瓶が日本で使われるようになったのは明治時代になってからで、明治4年(1871)東京の佐野屋がヨーロッパから輸入したものを販売しはじめたようです。
さて、写真の哺乳瓶は昭和8年(1933)生まれの方が使っていたものとのこと。ガラス製で、ガラスの表面には月例ごとのミルクの量とお湯の目盛りが刻まれ、それにしたがってミルクとお湯を入れると適当のミルクができあがるというスグレもの。
一方ガラス自体に眼を向ければ、現在使われているものよりも薄く、重さも軽いくらいです。そのため、現在ではこの時代の哺乳瓶はあまり残っていないようで、この当時のガラス製造技術の高さを証明する意味でも貴重な資料です。
ちなみに、今はあたりまえに使われているミルクですが、国産の乳児用粉ミルクが始めて発売されたのは大正7年(1918)だそうです。

(*現在では、ボツリヌス菌感染予防のために1歳未満の乳児にハチミツは与えないようになっています。)



やはり調べてみるものですね。
哺乳瓶は粉ミルクが一般的になるのと時期を同じく広まったものと、ずっと思っていました。


江戸時代末には、哺乳瓶の原型に近いものがあったとは。
この場合の重湯は、離乳準備の時期の重湯というよりは、おそらく母乳不足を補う必要がある出生直後から離乳前までの乳児を対象にしていたのではないかと思います。

離乳準備であれば、スプーンを使えば十分です。
どの時期の赤ちゃんでもスプーンで飲ませられているのであれば、わざわざ竹筒を組むような工夫は必要なかったことでしょう。
またスプーンなら洗うのも簡単ですが、組み合わさった竹筒というのは洗うのも手間がかかることでしょう。
スプーンではうまく飲ませられない時期の赤ちゃんのためにいろいろと工夫したことが想像されます。


離乳食を受け付けるぐらいの時期の乳児であれば、舌の上に触れた飲食物を大人に近いような動きで奥へと押しやることができるようになってきます。
それに対して新生児期からしばらくの間は、舌をU字に丸めてまるで舌自体をストローのようにして乳汁を直接食道へと流して嚥下します。


ある時期までの赤ちゃんの哺乳行動を助けるためには、さじやコップなどではなく、舌の動きや嚥下の発達段階に合わせた哺乳瓶が適しているということでしょう。


またスプーンやコップで乳汁を流し込んで飲むだけでは満足できない、くちゅくちゅと吸う動作も赤ちゃんには必要であることを知っているから、現在の哺乳瓶に近いようなものになっていたたのではないかと想像しています。