医療介入とは 19 <胎児の安全がわかるようになった時代>

私が助産師になった1980年代後半には、自然なお産を求める動きが日本でも高まって、国内外の書籍が数多く出版されました。


自然なお産に強い関心を持っていた私は、当時、必ず購入していましたが、現在手元に残っているのは数冊ほどになりました。


著者は助産師であったり、自身の出産を機に出産や助産師について関心を持った方などでした。
資格を取って働き出したばかりの当時の私にしてみれば、出産を産む側からの視点でとらえたこのような書籍は学ぶことも多いものでした。


ここ10年ほどは手に取ることもなく本棚に入れっぱなしだったのですが、ブログを始めてから読み直す機会ができました。


なんと表現したらよいのでしょうか。
「昔のお産は良かった」「昔の産婆さんは良かった」
そういう内容なのに、昔のお産でお母さんが、そして赤ちゃんが死んでいることもさらりと書いてあるのです。


この矛盾した感覚はなんなのでしょうか。
人が目の前で死んでいくことは怖くはないのでしょうか。
いえ、私自身も助産師として自信がつき始めていた時には、本当の怖さを知らないからこういう本に惹かれていたのだと思っています。


今日は、手元に残っている本のうちの2冊から、気になった部分を考えてみたいと思います。


<「出産の文化人類学 儀礼と産婆」>


1985年に海鳴社から出版された、松岡悦子氏の本です。


大学病院の計画分娩、イギリス・ドイツの病院出産の見学記とともに、明治生まれの開業助産婦やアイヌの産婆からの聞き書きから構成されています。


裏表紙の「本書について」では、以下のように書かれています。

・「安心して出産を」との想いは、病院での徹底した分娩管理のもとで実現したかにみえる。しかしそこでは、産婦は孤独でモノ化した存在として扱われ、女性の生理と主体性にまかせたお産の姿は見失われている。
(中略)
・人間の身体、文化、社会の相互作用の中に現実の出産が形作られていることをとらえた本書は、医療としての出産に再考を迫るのみでなく、生殖革命への重要な視点を提供している。


その本の「戦前の家庭分娩」という箇所の、明治生まれの開業助産婦さんのインタビュー記事の部分です。


その頃は、赤ん坊が死んでも非難されるような雰囲気ではなかったそうである。


「先天的に弱いのもありますし、お産の様子をみんな見ていますから、産婆が下手したんでないことはわかっていますし。何でもなく生まれたのに、もう死んでいた、というようなものもありますから。

(強調は、引用者による)



私がもしこの時代に産婆をしていたら、やはりこう語るしかなかったことでしょう。
強いものしか生き延びられなかった時代なのですから。


この本と著者に関してはまた機会を改めていつか書いてみたいと考えています。


<「バースライツ」>


副題は「自然なお産の設計のために」とあります。
また、とびらの部分には以下の言葉が引用されています。

まず自然を、そして自然の摂理に導かれた
自分の判断を信じなさい
アレクサンダー・ボウブ 1688-1744

イギリスのサリー・インチ氏によって書かれた本で、1992年にメディカ出版から戸田律子氏による翻訳が出されています。
戸田律子氏は、「医療介入とは11」で紹介した「WHOの59カ条 お産のケア実践ガイド」を翻訳しており、「バースエデュケーター」という肩書きになっています。


サリー氏は「1984年より英国王立医学会の母子保健フォーラム委員、オクスフォードシャー地域に根ざした助産婦活動を展開している。」と書かれているのですが、内容からすると自宅分娩を守るための研究者という立場のようです。


1992年頃といえば、日本はようやく「科学的根拠に基く」という言葉が聞かれ始めた時期でした。
日本でもそれまでの個人的体験に基く研究から看護・助産領域でも研究論文を比較して有効性を考えるというスタートラインにたったばかりでしたから、それに比べるとこの本が助産について科学的根拠に基いた考え方で書かれているのは一歩も二歩も先を行くものでした。


たとえば日本の「自然なお産」に大きな影響を与えたフレディック・ルポワイエ博士の「暴力なきお産」に関しても、反論を持つ側の研究論文も挙げています。
たとえば、出産時の静寂や暗闇が必要かという点に関して、次のような研究をあげています。
(そういえば、「新生児の表情6」で「生まれ方で変るのか」ということを書きました。http://d.hatena.ne.jp/fish-b/20120627)

出産時の静寂は赤ちゃんにも奇妙ですし、両親や助産婦にも非常に制約を強いられます。薬剤を使わず、意識がしっかりしとしている正常な出産には、自然に喜びの声をあげる母親や、周りからの祝福の声がかかるものですが、赤ちゃんにはこの機会もうばわれてしまいます。
リンドは正期正常産130例について写真撮影をしました。正常な経過をたどった出産は、赤ちゃんにとって必ずしも痛々しい体験ではないはずとの印象をリンドはかねがね抱いていましたが、これらの赤ちゃんの写真の表情がそれを裏付けていると感じたのでした。静寂を破って生まれたわけでなくとも、不安や痛みの表情を示す写真はなく、むしろ好奇心や期待感あふれる表情がみられました。

それ以外にも「暴力的なお産」と批判されている状況との比較を通して「ごくわずかな差しかなかった」ことを研究者が指摘していることも紹介しています。


出版されてからすでに20年がたっていますから、当然新しい知見に置き換えられた部分もあります。
それでも、「出産は医療ではない」「昔のお産は良かった」という主張に比べれば議論の余地はあると言える内容です。


この本の中で気になった部分は、ミッシェル・オダン氏を紹介した「付章3 アクティブ・バース」(p.365)です。


ミッシェル・オダン氏といえば水中分娩を世に広めた産科医ですが、その出産の哲学は「原初帰り」であり、「分娩中は学習してきたことや文化を忘れ、内部の本能のおもむくままに脳のより原始的な旧皮質部分に対応して行動する」(p.306)というものです。


室内の光、色彩といった環境を始め、産婦さんがリラックスでき、分娩に集中できる環境の大切さには賛同できます。
ただ、オダン氏の場合は、それだけでなく「ここでは、正常な生理の妨害は最小限にして、なるべく介入をしないという方針」「オダン先生と助産婦たちは、主に観察者として立ち会ってきました。分娩中は、指示や指導をすることも、産婦が自分なりの出産ができないということで避けました」という考え方を貫いていることです。


その結果はどうだったでしょうか?

この間(*注)、1799人の赤ちゃんが誕生しました。そのうち1592人(88.5%)は自然に生まれ、58人(3.2%)は吸引分娩、149人(8.9%)は帝王切開でした。
16人(0.9%)の赤ちゃんが死亡、30人(1.7%)は産後、重症疾患のため集中治療室に移送されました。

(*注、1977年から78年にかけての集計)


正常経過のはずの分娩で、100人に1人の赤ちゃんが死亡ということをさらっと書いてあります。
しかもすでに新生児用の集中治療室(NICU)まであったフランスで。


<医療の恩恵を最も受けたのは誰か>


医療が進歩してもちろん母体死亡率も驚くほど少なくなりました。


それは異常を早期に発見して、早期に治療を開始できるようになったからです。
産婦さんであれば、症状が出始めたり、ご本人が異常を訴える力もあります。


でも胎児というのは、本当に声なき存在でした。
「出てくるまで生きているか、元気か、死んでいるかわからない時代」も、そう遠い昔の話ではなかったのです。


胎児の安全は、胎児心拍を確実に、正確に聴取することで守られるようになりました。


「自然なお産」を良いものとして伝えようとする人たちにしばしば感じられるのは、「昔は赤ちゃんがお産で死んでも当然だった」ことを痛みなく書いているように見えてしまうことです。


次回からは、胎児の安全を守るための医療機器について書いてみようと思います。