医療介入とは 20 <胎児生存を客観的に確認する方法>

少し間があきましたが、また医療介入について考えてみようと思います。


前回は「胎児の安全がわかるようになった時代」として、「『出てくるまで生きているか、元気か、死んでいるかわからない時代』もそう遠くない昔」だったのではないか、ということを書きました。


胎児が生きているか、死んでいるか、現在では超音波エコーの画像ですぐに診断が可能です。


また、胎児が元気かどうかは、分娩監視装置(CTG)で胎児心拍のパターンを連続してみることによって判断もできます。


それらの医療機器はいつ頃から、用いられるようになったのでしょうか。
またそのような方法がない時代には、どうしていたのでしょうか。


<胎児心拍測定方法の歴史>


ネット上でわかりやすい資料がありました。
「日本ME学会・参加婦人科学会合同委員会および周産期ME研究会制定の産婦人科ME機器規格」
前田 一雄氏、生体医工学 49(2):297-300,2011
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsmbe/49/2/49_2_297/_pdf


タイトルを読むと難しそうですが、胎児の心拍をどのように測定してきたかという歴史がわかりやすく書いてあります。

1.はじめに
産婦人科臨床で古くから医師の視診、触診、聴診によって診察が行われたのは他科と同様であり、産科では妊婦腹部を触診して胎児所見と陣痛を知り、トラウベ聴診器で胎児心拍を聞いて胎児生存を確かめていましたが、どの場合も診察者の感覚と判断に頼っていたので得られた所見は自覚的でした。
客観的所見は骨盤X線写真などわずかな領域だけで、ME技術と超音波診断の導入によって大幅に客観化され、近代産科学が発展しました。

トラウベ聴診器の説明があるサイトをご紹介します。
「<その4>聴診器 −体内の音を聞くー」
内藤記念くすり博物館
http://www.eisai.co.jp/museum/information/topics/topics14_04.html


妊娠中期・後期で妊婦さんのお腹が大きくなった時期では、直接、腹壁に耳をつけるても胎児の心音を直接聞くことができます。
より明確に聴取するためにつくられたものがトラウベ型の聴診器です。


実は、トラウベで聴取されるのは胎児心音だけではないのです。
私の助産婦学校時代の教科書には、以下のように書かれています。

トラウベ聴診器で聴取されるものには以下のものがある。
胎児側:児心音、臍帯雑音、胎動音
母体側:大動脈音、子宮雑音、腸雑音
(「母子保健ノート2 助産学」日本看護協会、1987年)

トラウベで胎児心拍数を測定する場合には、5秒ごと3回連続して測定する方法が慣例的に行われていました。
たとえば5秒間に11・12・12のように測定し、おおよそ1分間に140というようにとらえていきます。


現在のドップラーでもそうですが、時々母体の拍動音のほうが大きく聞こえることもあります。
本当に測定した音が胎児心音であったかどうかは、聞いたその人にしかわかりません。
「自覚的」というのはそういうことでもあります。


現在の携帯用ドップラーや分娩監視装置のような超音波ドプラー心拍検出器が導入され始めたのは1960年代に入ってからのようです。

1950年代は胎児心電図や心音図、胎児心音電気聴診器が研究され、超音波断層法が現れましたが、容易で確実な胎児診断は1960年代の超音波ドプラー胎児心拍検出器に始まり、その後客観的診断による産科学の変革が続き、わが国でも子宮収縮曲線と胎児心拍曲線の同時記録による分娩監視装置が発売され超音波断層法が導入されて産婦人科臨床が客観化し、medeicalelectronics,medical engineering,ME、医工学は産婦人科診断に不可欠の手法になりました。

その資料の図2には「昭和34年(1964年)完成のわが国最初の分娩監視装置で、胎児心音と児頭誘導胎児心電信号によって胎児心拍数図を記録しました」という説明とともに、大きなタンスほどの機械の写真が載っています。
1960年代に出産の半数が病院・診療所で行われるようになっても、携帯用ドップラーや分娩監視装置は実用化されていなくて、トラウベでの聴診が主であったことでしょう。


臨床での実用化には1980年代までかかったようです。

6.診断用超音波安全性の確率
診断用超音波の安全性は1970年代初頭までは確立されず、ドプラー胎児心拍検出器についてさえも胎児診断応用の可否が論じられ、分娩監視装置へも利用されていなかったので、(以下、略)

1980年代には産婦人科でも実時間超音波診断装置の使用が普及し、弱い連続超音波を用いるドプラ自己相関分娩監視装置が広く利用されています(図3)。

図3には、現在と同じ形の分娩監視装置の写真が載っています。


<胎児の生存や元気さを客観的に表すということ>


携帯用ドプラーや分娩監視装置がなぜ必要とされて開発されてきたか。


それは、観察したことを客観的に表現する方法が必要だったからということです。


たとえばご自身が妊娠中に携帯用ドップラーで胎児心音を聞いたときに、さまざまな音が聞こえた体験をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。
赤ちゃんの心音、臍帯の血管音、胎動による音、そしてお母さんの拍動音も聞こえたりします。
時にはしゃっくりの音も聞こえますね。


こうして聴取する人以外の第三者も確認できることで、トラウベに比べても客観性を持つことができるようになりました。


さらに正確に胎児心拍だけを捉える、そしてグラフに連続して記録ができることにより、過去の観察の記録も第三者が確認することができることになります。
そうして開発されたのが分娩監視装置でした。


なぜ胎児の生存と胎児が元気かどうかを確認する客観的手段を開発しようとしてきたのでしょうか?


それがない時代には、胎児とはどういう存在だったのでしょうか。
次回はそんなことを書いてみようと思います。